致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 5 「喜びと悲しみはあざなえる縄のごとし」 

藤原 てい 作家

 満州からの逃避行の途中で一番先に首をつったのは、ソ連兵に強制連行されることもなく残された年寄りの男たち。次に、井戸に飛び込んだのは、独身女性、最後に残るのは、いつも私たち母親でしたね。食べるものもなく、栄養失調で腸の膨らんだ不憫な子供たちを、生かすも殺すも紙一重の気持ちなんですね。どうせ死ぬものなら、いっそ自分の手で・・・、と。でも、子どもを殺す親は、その瞬間、狂ってましたね。

 まもなくまた残留孤児の方が来られるようですが、おいでなさっても、母親に会えるケースはほんのわずかでしょうね。残留孤児の親はね、ほとんどいない。死んでいるんですよ。現地で。私はいくつもの現場で見てるわけですが、親が非常に重い病気になってるんです。その時すでにね。栄養失調。激しいですよ。その上に、発疹チフス。シラミに食われた病気ね。この二つが重なるともう、まず死が目の前に迫って来てる状態なんです。

 親も当然、死を覚悟している。せめて子どもだけは命を取り留めてやりたい。それで、「自分はもう命は長くない。、せめてこの子だけは助けてやってくれ」そういう祈りのような気持ちで、中国人に、売る、あるいは上げる。

 それで、孤児の方々は比較的体に傷を持っているんです。それも大きな傷を、火傷とか小指の先がないとかね。それは、親がわざわざつけたんですよ。自分と同じに、目印として、万が一、いつの日か、この地球上で生きて再び会えたら、これを照らし合わせて親子を名乗ろうじゃないか。。そう祈ったんでしょうね。で、「どうか、この子を預かってくれ」、と。
 そんな気持ちでお願いしているわけです。親は子を助けるために捨て、助けるために売って、自分一人で死んでいった。残念なことに、孤児の方々は、そのことをあまりご存知ないようですけどね。
どんな人でも、人生生きていく上で楽しいことばかりあろうはずがないですからね。喜びと悲しみというのは、あざなえる縄のごとしといいましてね、喜びの日と悲しみの日が、ほとんど等分量で織りなして過ぎていくのが人生だと私は思っております。

 ですから、一つひとつ、まいってないで、それを乗り越えるという根性、私が持って生まれた性格がある程度プラスになっていると思いますね。それは先天的なもので、もう一つは後天的なものです。貧しい家に生まれて、そして小さなころから家の手伝いをし、やがて女学生ぐらいになったときには、私が家をしょって立っているんだという気持ちでした。