3141「涙、心の浄化」2023.8.2 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年07月29日「涙、心の浄化」と2023年07月21日「子供が教えてくれた」の2つの記事を紹介します。

「涙、心の浄化」

この地球、物質世界に住む人々の営みの中に

・優しい心

・美しい心

・思いやりの心

を見た時、自然と涙が流れ、手を合わせてしまうことがあります。

それは、その人々の言葉や、行為の中に神々の姿を見たからです。

1508年、友情と感謝の心がこもった「祈りの手」 アルブレヒト・デューラー

神々の起こす奇跡はサーカスのように派手で、人目を惹くことではありません。

一瞬のうちに、物事を変えてしまうことでもありません。

神々のなさる奇跡は、隠れて見えません。

かえって神仕組みは、私たちの気づかぬうちに私達や、取り巻く人々の、

心にちょっとした変化(方向付けのきっかけ)を起こすことで、

それがスイッチとなり起こされます。

それはあたかも私たち自身が、自分で考え、行動したように見えて、実は神様の介入により、様々な有機的つながりの出来事をドミノのように起こしていきます。

まさに神仕組みです。

その積み重ね、私たちがその流れに乗ることで、いつの間にか気づかぬうちに、私たちが生まれる前に計画してきた方向へ進んでいきます。

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時 、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた、心の扉が開かれた時です。

人々の中に神々を感じ取った自分、

それは同時に、自分の中の神様に気づき、繋がった瞬間でもあります。

相手の中の神々と同調、共鳴し、真の自分と繋がった時です。

その時、神々は、私たちの心に奇跡が起きた・・

そうお思いになることでしょう。

人々の耳目を集める

・どんな凄いことをしようと

・どんな技や知識を身に着けようと

・どんなに地位や名声を手に入れようと

・どんなに経済的に成功しようとも

人々の心、そして自分の心の中に 

神々を見つける奇跡にはかないません。

神様は、私たちの魂を輝かせるために、 「そこで自分なりの花を咲かせるのですよ」、

そう言って、今の状況に私たちを置いてくださいました。

今、どんなに辛く、苦しい状況に置かれていようとも、

私たちの内なる神々は、常に私たちと一緒です。

苦しい環境こそが、かえって私たちの魂を削り、磨き、輝きを取り戻してくれます。

苦しい環境であるからこそ、心を振り返るきっかけともなります。

飢餓の中、空腹の中、一個のおにぎりが、どんなに美味しいことか。

渇きの中で、コップ一杯の水が、どんなに美味しいことか。

苦しみの中に在って、ちょっとして 人々の笑顔、優しさ、声掛けが

どんなに、心を励ましてくれることか。

身近な周りの方々の心の中に

・温かな優しさ

・思いやり

そんな神様の心を見つけた時、自然と涙が流れた時、私たちの心に浄化が起こります。

今まで硬く閉ざされていた、心の扉が開かれた時です。

自分の中の神々と繋がった時です。

それは、内なる神々が、ずっと待ち望んでいた瞬間でもあります。

「子供が教えてくれた」

今日のお話は、以前ご紹介したこともありますが、最近読者登録くださった皆さんの中にも、

同じようなことで苦しんだり、悩んでいらっしゃる方がいる様でしたので、加筆して掲載します。

小林正観さんが、悟った瞬間と言っても良いお話かもしれません。

日常の何気ない生活の中や、絶望のさ中と思われる時に、

神様の導きが行われることがよくあります。

神様の奇跡は、決してサーカスのように鳴り物入りで、

耳目を集め起きることではないと思います。

日常の何気ない生活の中にこそ、神様の様々な奇跡が行われています。

正観さんは、ブッダや、空海の弟子の時もあったそうです。

<引用開始>

30歳のとき結婚しました。

結婚後3年間は子供ができませんでした。

33歳のとき、子供を授かりました。

なかなかできなかった子供なので、よろこびの「慶」を命名しようと心待ちに待っていました。

7月14日(パリ祭の日)、その子が生まれました。

知恵遅れの障害児でした。

別室に呼ばれて、私は医師からこのように宣告されることになります。

「この子は先天的な障害児です。手術によっても、薬によっても、

リハビリによっても治ることはありません。

この子は生まれなかったものと思ってください」・・・。

目の前が真っ白になりました。

「目の前が真っ暗になる」という表現はよく使われますが、実際に体験した者の立場で言うと、真っ黒になるのではなく、真っ白になるようです。

真っ白になった風景が徐々に薄れていき、目の前に再びその宣告をした医師が見えたときは、その医師を含む部屋中の風景がモノクロになっていました。

白黒だけのグラデーションの世界です。

それから半年間、私は色の付いていないモノクロの風景を見ることになりました。

一番困ったのは、天気がわからないことでした。

窓の外を眺めても、晴れているのか(空が青色なのか)、

曇りなのか、雨なのか、見ただけではわからないのです。

季節感もなくなり、花の色、緑の色、木の肌の色、そして人の顔色なども全くわかりません。

半年ほどたった1月16日は休刊日でしたので、

私は15日に届いた膨大な付録の部分を読んでいたのです。

その記事の一つに、このようなものがありました。

── 新生児の600人に1人は、障害を持つ子供が生まれる。

あなた方も20歳になって、将来結婚をするであろうから、

その生まれる子供に障害児が生まれてくる可能性もある。

そういうこともあるのだ、ということを知っておきなさい──

というようなとても短いコラムでした。

このコラムを真剣に受け止めた人は少なかったと思います。

ただ、私にとっては、

この小さなコラムが救いでした。こう思ったのです。

「慶子ちゃん、うちに生まれてきてよかったね。

600人に1人、障害児として生まれてくるのであれば、

慶子ちゃんは、どこかの家を選んで必ず生まれなければならなかった。

そのときに、小林家の両親を選んだというのは、ものすごく良い選択をしたと思う。

私は障害がある子をいじめたり差別をしたりはしないし、

私の妻もやさしい人だから、いじめたり差別をしたりはしない。

慶子ちゃんは、そういう両親を選んで生まれてきたんだね」

とそう思った瞬間に、半年前に失っていた「色」が戻りました。

風景に色が付いたのです。

瞬間の出来事でした。

半年間、私は苦しんでいました。悩んでいました。

なぜなら、生まれた子供を受け入れることができなかったからです。

しかし、そのとき、目の前に乗り越えるべき大きな障害や、障壁が立ちふさがっていると思っていたものが、実は 幻 であったということに気が付いたのでした。

私自身が障害や障壁だと思っていた大きなものは、私の認識だけの問題 だったのです。

私が「慶子ちゃん、よかったね」と思えた瞬間に、その問題は消滅していました。

努力や苦労をして乗り越えたのではなく、乗り越えなければならないと思っていた障害や障壁が、その1月16日の瞬間に消滅したのです。

乗り越えたのではありません。

乗り越える必要がない状態になったのでした。

生まれてからわずか半年後に、この慶子は私に大きなことを教えてくれました。

悩み・苦しみというのは、実はその目の前の現象を否定し、受け入れないところから生じているのだということを。

私たちが目の前の現象について悩んだり、苦しんだりしているときは、それを受け入れていないということなのです。

否定をしているということにほかなりません。

<引用終了>

小林正観さんは、この障害を持つお嬢さんの誕生によって、大きな気付きを受け取りました。

まるで神様からの贈り物ですね。。

ですが正観さんでさえ、その悟りまでに半年を要しました。

苦しみの原因は、それを受け入れていないと言う事。

受入さえすれば、一瞬でそれは苦しみではなくなると言う事。

これこそが、ブッダの説いた「般若心経」の真髄です。

悩み、苦しみの種に見えた現実を

・受け入れた瞬間、

・感謝できた瞬間

それは、恵みの種に変わったのでした。

この気づきによって、悟りによって

どれだけ多くの方が、正観さんの著作や、講演を通じ救われたことでしょうか?

慶子ちゃんの誕生によって、絶望の淵にまで落とされていた正観さん、

そして半年後の悟り、そしてそれが開花して、

何十万人もの多くの人の心の救いに繋がりました。

それは、全て慶子ちゃんの誕生から始まりました。

慶子ちゃんが生まれなければ、

後に、これほどまでに多くの人の心が救われることはなかったのです。