致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 26 「どうか主人の遺志を継いでください」

西村 滋 作家

 ベストセラーとなった自伝的小説「お菓子放浪記」がなぜ生まれたのかについてちょっとお話しますね。昭和十五年の暮れ、孤児院から逃げ出した僕は、おなかがすいてしまって、あるパン屋さんの店先で菓子パンをね、ちょっと失敬してしまったんですよ。お砂糖が配給になって、甘いものがだんだんなくなってくる時代でした。
 ところが情けないことに、その菓子パンを食べる前に刑事さんにつかまっちゃってね。年の瀬を一回だけ警察の豚箱で迎えているんです。ある少年院に廻されることが決まると、僕を捕まえた刑事さんに連れられて目的地まで行くわけですよ。

 子どもだから大丈夫だろうと、手錠もつけずに僕の手を引いていくんです。バス停でバスを待っていたんですが、向かいに汚い駄菓子屋さんがあって、もう甘いものなんかないはずの駄菓子屋さんに、売れ残った菓子パンが二つだけありました。それを刑事さんが買って下さいまして。「バスが来ないうちに食っちまえ」っていうんですよ。袋の中には二つありますから、当然一つは刑事さんが食べるんだなって思って、一つだけ取り出して返したんです。そしたら、人のよさそうな刑事さんでしたが、にやっと笑って「ばか、一人で食べていいんだよ」って言われたときに、急に涙が溢れてきちゃって。

 僕はそれまで一人で二つたべるなんて経験がないんですよ。少年院や孤児院などどこに行っても頭数で分けられる。公平はいいことですよ。でも寂しいことです。それがこの時は一人で二つ食べていいという。ゆめのような出来事でした。

 それで少年院に行きましたが、僕はこの刑事さんのことが忘れられないんですね。食糧難が戦争でどんどん広がっていく、菓子パンどころか米までなくなる時代が始まります。だから余計に、僕にとってこの時に食べさせて貰った、たいして甘くもない菓子パンが思いで話になっちゃうんですよ。
 刑事さんにしてみれば、こいつは少年院に入ればもう甘いものも食えなくなるし、戦争も酷くなってくるから、せめて売れ残った菓子パンだけでもという、単なる思い付きだったかもわかりません。
 ただ、本来であれば刑事さんは僕を逃がさないように警察から少年院に届ければ役目はそれで終わりでした。なにも僕に菓子パンを買ってくれなくてもいいわけです。その「しなくてもいいこと」をされた僕が、八十六歳にもなってですよ、一所懸命にお話しするくらいに心に植え付けられているのはなんでしょうかね。
 僕はよく言うんですよ。人間は義務だけでは駄目だって、報酬をいただいて義務を果たすのは当たり前、義務の上に何がくっつくのか、人間として何がくっつくのか、ここが大事だと思うんですね。