3169「心を受け取る」2023.8.30

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今回はいっぷくからのありがとうさんの2023年08月19日の記事を紹介します。

「心を受け取る」

見えない世界に精通し、不思議な力を持っている。

そのように吹聴するどこかの誰かの力に頼ることよりも、

自分自身の心の浄化、純化が、どれほど大切なことか。

そちらの方が、遥かに永続的で、真の力を発揮することか。

自らの心を清める事、感謝の心で過ごすことが、

どれだけ宇宙神を喜ばせ、大きな助けを引き出すことができるのか。

様々な情報をどのような角度から見ても、結論はそうなります。

力あると吹聴する他人に依存するのではなく、自らの心を洗うこと・・・

では、今日も王道であり、その最強の方法である、心の浄化についてのお話です。

神々による建て替え、人々による建て直し

今行われている進化の方向性は、

一人一人の精神性が大切にされる世界への移行

それは、

・誰か悟った人によって起こされるのではなく

・霊的な力がある人によって起こされるのではなく

・有名な前世を持つ人によって起こされるのではなく

私達一人一人の心の変化によってなされます。

私達の心が、今までまとっていた

・罪(包身)

・穢れ(氣枯れ)

を祓い落し、

本来の輝きを取り戻し、他人や物に依存することなく、

自分の力で、しっかりと大地に根を張り身近な周りの人たちと、

認め合い笑い合い、助けい合い、生きていくことで、実現される社会です。

大本の神様からいただいた心・魂にはその力が宿っています。

今日のお話は「心を受け取る」ということで、

ある方の思い出話をご紹介します。

貧乏で田舎者の父と、息子の大学卒業にあたってのお話です。

お父様は田舎者で、また裕福ではありませんでしたが、

まじめで、実直で、子供を心から愛しておられた方でした。

<引用開始> 引用元

三月は卒業式のシーズンである。

卒業式といえば、私には忘れられない父との思い出がある。

私の大学の卒業式に出席するため、それまで天草をほとんど離なれたことのなかった田舎者の父が、一人で博多までやってきたのである。

私は驚いた。

父は下宿の私の部屋に泊まった。

卒業式の朝、父は大学の門の前で立ち止まり、じっと門を見つめたまま、しばらく動こうとはしなかった。

学部ごとの謝恩会の席で、父と私は一箱の折り詰め弁当を分け合って食べた。

そして、一合ビンの日本酒を、交互につぎ合って飲んだ。

父は実に嬉しそうであった。

私はその時の父の嬉しそうな顔を、今でも忘れることができない。

卒業式のあとで、私達は親友二人と共に、大濠公園に行った。

親友達とも、その日でお別れであった。

私は公園のベンチに座って、その親友達との別れを惜しんだのであった。

父は少し離れてなぜか寂しそうに、私達を眺めていた。

翌日、父は黙って天草に帰って行った。

しかし、その時の父のなぜか寂しそうな姿が、長い間ずっと、私の心の中から離れなかった。

その父が四年前に亡くなった。

亡くなる一年ほど前に、入院して寝たきりになった父が、ベッドの中で、私の手をしっかりと握って言ったのである。

「お前の卒業式の日あの公園での悔しさは、今でも忘れん。

金がなくて皆にジュースを買って、飲ませることもできんかった。

本当にすまんかったな。

おれは悔しくて、帰りの汽車の中で、涙が止まらんかった」

父は三十数年もの間、その時のことを、悔やみ続けていたのである。

私はその時、八十八歳の父の心の風景をはっきりと見た。

そして、卒業式の日の大濠公園での、あの父の寂しそうな姿を、三十六年たって、初めて理解できたのであった。

私は仏壇にかざった父の写真を、しみじみと見ながら「気にするなよ、おやじ」とあらためて呼びかけている。

<引用終了>

お父さんは、息子さんが大学に入学し、とても嬉しかったのでしょうね。

自慢の息子さんですね。

そして「卒業式」お父さんは、どんなに晴れやかな気持ち、誇らしい気持ちで、上京なさったことでしょう。

貧しい農村の暮らしでは、大学に行かせるのに、どれだけ苦労したことか、想像に難くありません。

そのお父様が、36年間、ずっと引きづっていた気持ち、晴れやかな門出の日に、息子が友人たちと別れを惜しんでいるとき、親として1本のジュースも買ってあげられなかった。。

・その悔しい気持ち、

・情けない気持ち

・息子や、友人たちに、すまない気持ち

胸が締め付けられます。

ですが、ここで、もし状況が異なり

家庭が裕福で、何の苦労も無く、息子さんを大学に通わせることができ、

友人たちの別れの際には、惜しげもなく、高価な飲み物を渡したとしたらどうでしょうか?

きっと、このような、胸を打つ経験はできなかったことでしょう。

このように強い愛情を感じることもなかったでしょう。

息子さんは、深い深い父の愛に、気づくことも、感謝する気持ちも起きなかったことでしょう。

魂に刻み付けられる心と心の交流、

地上でしか味わえない、魂の震えを感じることもできなかったことでしょう。

このように、私たち人間は、周りの方々と、日々織りなす経験を通じ、、

時には喜び、時には涙を流しながら、深い深い経験を積んでいます。

もし、何の苦しみも、悲しみも無ければ、地上を離れる時に薄っぺらな、心の片隅にも残らない、つまらない人生でしかなくなることでしょう。

きっと、楽な人生ではあったけれど、深く後悔することでしょう。

私たちは、神様に似せて創られました。

この地上で、

・物ではなく、

・幸福だけを選り好みするのではなく、

相手を思いやる美しい温かな心を、

受け取るために、その温かなものを、周りの人々と、循環させるために

ここ地球に生まれてきました。