「初心にかえって」 矢頭美世子のひとりごと

通販のやずやさんから通信が参りました。
同じようにやずやさんの商品を取り寄せてみえる方は
ご存知かもしれませんがご主人を亡くされてから
跡を引き継いで立派な経営を実践されてみえる
美世子さまの文章がすばらしく、一部掲載させていただきます。

人生にとって「感動」は糧です。
特に文中の亡くなった先代様の言葉がとても胸に響きました。

「財を残すは下」
「事業を残すは中」
「人を残すは上」
「感動を残すは最上」

ここからです。

矢頭美世子(やずみよこ)のひとりごと

初心にかえって

 仙台・矢頭宣男の命日になると、思い出します。

妻であり母、そして会社では専務と一人三役をこなしていた私にとって、先代との日々は苦労の連続ではありましたが楽しい毎日でした。大きな夢を描き正義感が強くて自分の損得を全く考えない先代。若い頃は貧乏でお金の苦労が絶えなかった先代でしたが、夢に向かってまっしぐらにかけ進む先代との人生は毎日が新鮮でした。

 まだ、やずやを設立する前のことです。
資金のない先代にとって元手がなくてもできる仕事ということで、結婚式の司会業を始めました。しかし、結婚式の司会は春と秋に集中し、土曜日と日曜日がほとんどだったのです、。さらに、人がいい先代はいただける司会料の半分以上もの結婚式を盛り上げるグッズを用意するなど、収入面では苦しい日々が続きました。

 ある日、「土曜以外の半日でできること」「悩んでいる方々に喜んでいただけること」「世の中のお役に立てること」の三拍子がかなえられる健康食品の仕事が現れたのです。この健康食品の仕事が、現在のやずやの原点になるとは夢にも思っていませんでした。先代が31歳のときです。

当時は社員を雇うお金もないため夫婦二人での開業でした。
やずやの原点のスタートです。

先代が外出しているときは、三歳の娘とやっと1歳になったばかりの息子(現在のやずやの社長)の子守をしながらの電話番でした。「お母さん遊ぼう!」二人の子供たちは、私が仕事で電話番をしていることなど理解してくれるはずはありません。幸い事務所の二階が住まいであったことから、電話が忙しくなると二人の子どもたちを二階に上げます。そして、きれいに吹き上げた畳にスナック菓子を置いておくのです。しばらくの間、スナック菓子を拾って食べることに熱中している子供たちの声を一階で聞きながら電話応対に専念していた時代もありました。

 それから17年、ようやく先代の想いを込めた念願の自社商品やずやの「養生青汁」が誕生したのです。   

                 中略

しかし・・・世の中、そんなに甘くはありませんでした。
「先代の突然の死」という現実が私に突きつけられたのです。

「つい最近まで元気だったのに・・・」
「どうして・・・」
「これからなのに・・・」
この世を恨みました。何もかも嫌になり会社を経営する気力さえ失いました。

そのとき、わたしは三つの選択が頭をよぎったのです。
「誰かに経営を任せる」
「維持中心の守りの経営をする」
「先代が描いていた夢を自分が実現させる」

私は躊躇することなく「先代の夢を私が実現させる」ことを選びました。

「先代がなくなったことをお客様へ伝えないといけない」「どうしよう・・・」私にとっては大きな問題でした。「健康食品を販売している会社の社長がなくなるなんて・・・」というお客様の声が聞こえてきそうでした。しかし、思い切って本当のことをお客様へお伝えする手紙を書きました。

               中略

 生前、先代は、
「財を残すは下」「事業を残すは中」「人を残すは上」「感動を残すは最上」と言っていました。先代が残してくれた社員たち、やずやを応援していただける多くのお客様、ほんとうにありがたく思います。

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