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生き方のヒント
2023-10-15 12:22:14 | Weblog
人には、
・ 何をしてもダメな時も有るし、
・ 何をすれば良いかも、分からない時期が有るものです。
順調な時は、何も迷わずに、最適解(さいてきかい: 幾つかある解答の中で、最も目的に合った答えの一つ)へと「知らずに」向かうものです。
どうして、一人の人間でも、時期により心境が違うのでしょうか?
これは、心の世界からの視点では、説明が出来ます。
・ 「自我」(じが)の自分で生きている時期:
これは、自分を優先して生きている時であり、周囲の人への感謝も気付け無い自分の生活であり、
「われ良しな自分の心」を意味します。
自我の自分は、「自分と他人は別物」という意識で生きており、物質や力関係も有るものとしています。
他人の痛みや立場を、思いやることが少ない自分は、「自我で生きている自分」と思って良いです。
でも、「自我の自分」とは、それは本当の自分では無いのです。
本当の自分は、真我(しんが)と言います。
真我=内在神でもあり、神様の分霊だと思ってください。
「自我の自分」で生きていますと、
・ 何をしてもダメ。
・ 何をすれば良いかも、分からない。
時が人に必ず来るのです。
こういう時に人は、他人や霊の責任にしたり、厄払いや祈願をしたがるものです。
しかし、これも自分だけを優先する心がすることです。
本当の原因は、自分で気付かずに「われ良しな自分の心」で生きていたことの反射なのです。
霊的には、不運というのは、過去への借金返済という有り難い機会であるのが真相です。
不運な目に遭うことにより、霊的な借金を返済して減らしています。
本当の悪人は、霊的な借金を生きる間に返すことも止められます。
死後に10倍返しをするように誘導され、生きている間は、悪人が栄華を誇るようにも見えます。
でも、これは本当に怖いことです。
しかし、今からの時期は、悪人が栄華を見せる時期も、生きているうちに終わり始める時節です。
今日の言いたいことは、ここからです。
・ これから、誰もが「真我」で生きてほしい時期に入ります。
真我を分かりやすく言いますと、
・ 他人は、自分自身でもある。
・ 真我は、他人の悲しみを、自分の心の痛みのように感じる心の意味です。
こういう気持ちで生活をしていますと、
・ 何をしてもダメ。
・ 何をすれば良いかも、分からない。
という悩みが消えて行きます。
むしろ、「何も考えない自分」に成って行きます。
何も考えないのに、なぜか最適解のほうから目の前に来てくれます。
「他人の悲しみを、自分の心の痛みのように感じる心」で生活していますと、
・ 段々と自分という者が心から消えて行きます。
ペットの猫も犬も、自分自身のように思えるし、
大自然を見ても、自分が大自然に溶け込むような一体感を覚えます。
このように成りますと、「無」「心が無心」であるが、目の前の作業に没入する自分が居ます。
無心に掃除したり、勉強したり、仕事をします。
でも、その精度は増して良い仕事をします。
生活の中で、迷う前に、行動や選択をしています。
将棋の藤井聡太棋士が、絶体絶命の危機でも大逆転で勝利しています。
その時に、熟考の先に訪れた「無の状態の心」で、理由は分からないけれど答えだけが観えたというような感想を、インタビューで述べています。
これは霊的には悟りのような、凄い境地を知らずに返答されています。
これからも活躍することでしょう。
もし、選択や、何をすれば良いか迷う自分が居れば、
・ 自分だけを優先する気持ちで生活していなかったか。
・ 周囲への感謝が有った自分なのか。
これを思い出して、注意して頂きますと、これからの心境が変わって行く可能性が有ります。
何か、参考になれば幸いです。