3334「二億パーセント大丈夫」2024.2.11 自分で自分を自分するから

https://tenmei999.blogspot.com/2024/02/33342024211.html
 
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年01月29日の記事を紹介します。

「二億パーセント大丈夫」

今まさに、どんな逆境に置かれていようと、どんな辛い病気であろうと、貧困の淵にあろうと、そんなことはお構いなしに、周りの環境は、どんどん変化しています。

・悪く見える方向にも

・良く見える方向にも

一瞬たりとも、同じ状態であるものは、この世に存在しません。

その状態の変化、環境の変化、それらが何によって方向付けされるかといえば、全て、私たちの心です。

あなたの心は、清らかに洗われていますか?

それとも、どす黒い憎しみに覆われていますか?

今の心の状態に従って、少しづつ、運命は動いていきます。変化していきます。

中間世記憶、つまり生まれる前の記憶を持つ子供たちが、話してくれた通り、

私たちの今の人生を、魂のレベルから見た時、

・どんな辛い環境の中であろうと

・病気であろうと、

・貧困の中にあろうと、

・孤独の中であろうと

全ては、私たちが生まれる前に計画して来た通りの状態であり、そして、それは神さまの承認を得て、生まれて来たのだそうです。

今日は、以前掲載したこともあったのですが、非常な逆境の中で生きる、一人の女性のお話です。

これも、やはり魂の醍醐味を味わうため。

魂の成長のための、あえて選んで生まれて来た苦難であると分かります。

母を救った娘の言葉

・知的障碍のある長男の誕生、

・夫の死、

・そしてご自身の大病。

度重なる試練に見舞われ、悲しみのどん底に沈んだ岸田ひろ実さん。

今日は車いす生活になり、絶望を感じていた岸田さんを救った、娘さんの言葉をご紹介します。

<転載開始> 転載元

ある日、娘が車椅子を押して、私を街に買い物に連れ出してくれたんです。

目的の店はすぐ目の前なのに、車椅子では遠回りしないと行けないというようなことが、

いかに多いかを、この時の外出で初めて実感しました。

それともう一つは、人の目線ですね。

どこに行っても

「うわぁ、かわいそう」といった目で見られてしまう……。

「車椅子で何とかなると言ったって、何ともならないじゃない」

という感情がワッと込み上げて、一所懸命に頑張ってきたものが音を立てて崩れるようでした。

それが本当に辛くてレストランに入った時、

「もう無理」と思って初めて娘の前で泣きました。

「こんな状態で生きていくなんて無理だし、母親として、してあげられることは何もない。

お願いだから、私が死んでも許して」って。

――娘さんは何と?

「泣いているだろうな、死なないでって言われるんやろうな」

と思ってふと見たら普通にパスタを食べていました。

そして

「知ってる、知ってる。死にたいんやったらいいよ。一緒に死んであげてもいいよ」

と言ったんです。

続けて

「でも、逆を考えて。もし私が車椅子になったら、ママは私のことが嫌いになる?

面倒くさいと思う?」

と聞きました。

「思わないよ」

「それと一緒。旅行に行きたかったら行けばいいし、歩けないなら私が手伝ってあげる。 

二億パーセント大丈夫だから私の言うことを信じて、もう少しだけ頑張ってみようか」

と言ってくれたんです。

私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです。

<転載終了>

「逆境は真実への第一歩」と言われています。

自分が経験したことのない痛みや苦しみは、本当に理解してあげることはできません。

・親が離婚した子供の悲しみは、

親の離婚を経験した人にしかわからない

・子供を亡くした親の悲しみは、

子供を亡くした親にしかわからない

・多重債務や倒産、破産、一家離散の苦しみは、

それを経験した人にしかわからない

・過ちを犯してしまった人の苦しみは、

同じ過ちを犯してしまった人でないと、わからない

同じように「その苦しみや悲しみから救ってもらった時の『人の情けのありがたさ』も、

苦しみや悲しみから救ってもらった人にしかわからない」

子供でも大人でも、救いや指導を必要としているのは今まさに、苦しみや悲しみを伴う逆境の中にいる人達。

逆境を突き抜けたところに、自分にしかできない生きる道がある 

のかもしれません。

今まさに、自分は逆境の中にある、そう感じている方、

そんな人こそ

「同じような過ちや逆境の中で、同じような苦しみや悲しみを背負っている人たちに声をかけ、手を差し伸べる人」

なのかもしれません。

そのために、天が試練を与えてくれてるのかもしれません。

その中にこそ、私たちが、この世界に生まれて来た目的があるのかもしれないですね。

もう一度、この試練を生きる糧に変えた母と娘の、本物の笑顔の写真を見てください。

もしかしたら、もしかしたら、私たちの、

その目の前の試練は、とてつもなく大きな

神様からのギフトなのかもしれません。