魂のゆらぎ 7 終章 ~ 神とは何か 人間とは何か

ヒーリングコードは人間が全細胞レベルで記憶する
人間の持つストレスを、5本の指先から放つ振動で、四つの
司令塔のような箇所に当たることによって打ち消します。

人はストレスを持つと免疫系の流れが滞ります。
それがあらゆる不調の原因。
その滞った免疫系の流れを、指先の振動によって
打ち消す(キャンセル)ことで流れを中庸に
導くのです。

ゆえに絶対に治らないといわれる筋委縮症や側弯さえも
そして通常の精神的な病や偏頭痛、もちろん内臓に関わる
糖尿病や新生物の治癒効果の報告もたくさん体験者から
寄せられています。

さらに家庭や職場での人間関係、事業の好転、成功の報告も
たくさんあります。

何より結果がその実践による効果を証明しています。
そしてそのことがずっと続くのです。

一日6分間を三回。
自分も他の方さえも癒すことが出来ます。

人は分離していないからですね。

詳しくは本でお確かめください。

そして何より実践です。

効果はお人によりさまざまですが、その時間も
ストレスの状況により早い方遅い方様々です。

さてこの二年間で人の癒しについての情報がたくさん
なだれのように押し寄せました。
そして目新しい情報が次々に階段を上るかのように目の前に参りました。

世に達人は多いものと感じながら、人間は無限の能力を
持つのだから自分で出来る癒しはないのだろうかとフ・・と
思いました。そのことでもう最後・・かのような「ヒーリングコード」の
情報を受けることができました。

すべての人間は幸福を求めます。
しかし幸福は人によって様々です。

詐欺師は詐欺の成功が幸福、
盗人はうまくいくことが幸福、
病人は治ることが幸福、
貧しい人はお金持ちになること、
人間関係に悩む人は嬉しく楽しい喜びに溢れた関係が幸福、
事業化は成功が幸福、
お腹がすいたら食べ物を食べて幸福、
おしゃれをして幸福、
綺麗になって幸福、
ブランドを着て幸福、
素的な家を建てて幸福、
人のお役に立てて幸福、
有名になって幸福、、、、
、、、、、、、、、

などなど上げれば限りのないことですね。

そして不足や希望をかなえた時、人間は幸福になり喜びます。

人間の欲望は果てしなくその種類も豊富。

ですがそれが本当の喜びでしょうか?

とても長いお付き合いが出来た故飯島秀行さんは
「神」のことを
意識とか法則とか生命とか、エネルギーとも無限とも完全とも、おっしゃいました。

ですから「神」はかたちなく姿もないわけですね。
それが飯島さんの「神」についての表現でした。

そして人生の目的は「分離感をなくすこと」と明確です。

自分のしたことが返ってくる、がこの世の法則ですね。
恨めば恨まれる、与えれば与えられる、騙せば騙される、
いじめればいじめられる、奪えば奪われる、殺せば殺される。。。

はがき道の坂田さんは「人生とは心をきれいにすること」と言いました。
こころがきれいになれば人間の意志はすべて意のままなのでしょう。

政木先生は「人の役に立つこと」です。

そして中村公隆和尚は「いのち耀いて生きる」です。

あなたたちすべてはものすごい価値をもっているのだから
どんな時も喜んで命を耀かせて生きてください。
と法話ではいつも締めくくられました。

さてバラマンサヨガナンダの「人間の永遠の探究」とは
何なのでしょうか?

聖典である聖書やヴァカヴァッド・ギーターはよく似通っています。

ここからの引用が多いのでどうしても「神を見る」とか
「神を求める」「神の姿」という記述になるのですが、
それは「神は人間をご自分の似姿として創造した」とあるように
日本人が「山川草木悉皆成仏」とむかしからいかなるものにも
仏が宿っているとずっと繋いできた心と遠い感じに聞こえますが、
イエスもクリシュナもすべてのものは「神」の光のひとしずくと共通しています。

さて「神」とはなんなのでしょう。
人間とはなんなのでしょうか。

ただ確かなことは人間が「神」とか「仏」とかと
いう言葉を使うことです。

人は根源の神の光とつながっている一筋の光。
そして根源そのものといわねばなりません。
だからこそ人間は無限の能力を持っているのですね。

バラマハンサヨガナンダの言葉を最後にお別れです。

「光と喜びとしての神」

 大自然の万物はすべて真実の存在ではありません。万物を超越する唯一の実体だけが真実の存在です。けさ、私は太陽の光を浴びながらこの僧院の庭を散歩しました。海岸へ下りる階段の所で、私は立ち止まって階段の電灯がつくかどうかスイッチを入れてみました。するとそのとき、突然まばゆい神の光が私を包んだため、電灯の光は全く見えませんでした。それどころか、太陽さえも見えなくなってしまいました。私は、太陽の光も電灯の光も真実のものではないことをまざまざと実感しました。神の光だけが真実の光です。
 「もし、千個の太陽が同時に空に現れ、想像も及ばぬ光輝で地上を照らしたとしたら、その輝きは、人々が夢みた聖なるお方の威厳と栄光にたとえられるかもしれない」
 この偉大な霊示の中で、神は私に、神の光によって果てしなく映し出されていく、幾重にも重なりあった世界を見せてくださいました。私が見たそれらの世界も、神の意識が映し出されたものにすぎません。あなたがたも、もし自分の意識を神に同調させさえすれば、あなたがたの知覚力は無限に拡大し、神の存在が大洋の潮のように流れている全宇宙のすみずみまで知覚することができるようになるでしょう。
 あなたが偏在の霊としての神を知り、自分自身を神の霊として自覚するとき、陸も、海も、地球も、大空もなくなって、すべてが神の霊として感じられるようになります。
この、すべてのものが神に溶け込んでゆくときの感動は、とても言葉では言い表すことができません。それは、絶えず湧き出る喜びと知識と、愛に充ちた、至福の境地です。この喜びに浸って、風にそよぐ木の葉のように魂を震わせている聖者の顔にはそれが現れています。こういう状態に入ることの出来る人がヨギです。この至福の境地は、日常の行動と、たゆまぬ真剣な深い瞑想とを調和させることによってのみ体験することができるのです。

・・・・・・・・・・・・

神だけがグルである

 神を愛する人は、グルと呼ばれても少しも喜びません。彼は、神だけがグルであることを知っているからです。私は、自分をあなたがたの足もとの塵くらいにしか感じていいません。それは、あなたがた一人一人の中に全能の主が宿っておられるのが見えるからです。
 私は、とうの昔にこの地上から去っているはずでした。私はこの肉体を神の炎で溶かし、自分に付着している汚れをきれいに焼いて、私と無限の神とを隔てようとするこれらの邪魔物を取り除いてしまいたいと思っています。いずれその日は来るでしょうが、この地上に生きている間は、私の言葉に共感し、私を信じてくれる人たちに、私が経験した神の光ー言葉では言い表せない慰めと自由と安らぎを与えてくれる神の光ーに関心を向けさせるように語りかけることが、私の最大の喜びです。
 「あらゆる光の本源の光、やみの中にも浸透している光・・・それは万物の心の内奥に宿っている」(ヴァカバッド・ギータ)
 その光の中には、かって生まれて死んで行ったすべての人々、すべての被造物、昔起ったすべての出来事が見えます。世界の歴史は、別の世界にある記録保管所に永遠に記録されています。この物質世界では、われわれは長さ、幅、厚みという三つの次元を見ていますが、長さも幅も厚みもない、すべてが透明な世界が別にあります。それは意識の世界です。味もにおいも意識です。我々の知覚も思想も、からだも、実は意識以外の何物でもありません。ちょうど、われわれが夢の中で見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触ったりすることができるように、その高い次元の世界ではすべての感覚が純粋な意識によって経験されるのです。
 私は、今こうして話をしている間も、その世界を見ています。私はこの肉体の中にはいません。私は、存在する全ての一部です。その意識の世界の中で私が見ているものは、すべてこの部屋の中にいるあなたがたと同じように現実に見えます。あなたがたも目を覚まして、神がいたるところにおられるのを見、今まで自分が見ていたものが夢であることを悟りなさい。あなた方が今ここにすわっているのも、その夢の一部です。私は何度も、この部屋を永遠の光の中に見たり、この部屋の中に永遠の光を見たりします。万物は、みなその永遠の源から生命を借りているのです。

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最後までおつきあいくださった深いご縁の皆様に
御礼申し上げます。

すべてのみなさまが光り耀き、つねに最高の喜びの中に
あられますように祈念申しあげます。

ありがとうございました。

    令和6年10月19日