灯 明 040413

平成16年4月13日 記
今年、来年で道がみえると漠然と感じていた。
具体的な方法が見つからないまま、試行錯誤を
繰り返し、はじめての体験を多くして、11年前から
ここの今へと来た。
いろんな人々にお会いした。
ただ事業を継続すること1点に絞っていたならば、
どのような顔相でどんな人間になっていただろうかと
想像すると、すこし恐ろしい。
でもそのようなゲームを選んではいなかった自分を
すこし偉かったなと、全部ひっくるめて誉めてやりたい。
これからのひと生でどうするのか、あるいはひと生はもうないのかは
わからない。けれどとりあえず今回はラッキー。


こっちだよーって、求める人をご案内する人。そんなことが嬉しい
凡庸な人生。ご案内するところに没頭することもなく。
危ない組織とも知らず、無垢な心は染まることも出来ずに、
非難もせずに離脱したこともあった。
こころもいのちも求めてはいないのに、一番の近道かと判断し、
ただ生き方が偉大な人の行動に連れ添ったこともあった。
すべては最大級の無限のいのちの歓喜のために歩くことを
約束されたステップだったのだろうか。
縁ある人々を巻き込んだのかもしれない。
幾人の人々が集まり、また去っていかれたことだろう。
またどんなことがあっても変わることなく見守り続ける方もいる。
目立たずご自分のできる範囲で支援をかかさない方もいる。
そしてなにより大きな波で応援しつづけてくださる人々の力。
そして見守る見えざるものよ。
構造を創造する。だがしかし経済的なことではない。
次代を夢見る億万長者ではない。
長い生を生き抜いて、つなげてきた先祖の先っぽに
私たちは大きな力をいただいてある。
できるなら、少し曲がった国の道が、歩く人にとって美しくて
胸を張って、見ぬフリをせず、助け合って、愛し合ってみんなが
誰一人として例外なく歩ける道ってなんなんだ。
そんな道を、今まで生かせていただいたご恩返しで、
創ってから去りたい。ただそれだけ。
東京、マンションの一室。
紙にかかれた言霊が次々に降ってくる。
まつり 祭り それは夏か秋か
宇宙先祖にこうべをたれ拝する
それは申の終わりか酉の始まりか
世間はきづき波動高まる
一枚一枚 神示の言霊は無言で降りる
「社(やしろ)のあかり
灯明は
不断(きらず)に
つぎたす
事とする
火打ちいし 」
この紙が降りてしばらくして
目から幾筋かの涙
もうあとはなんでもよかった。
チャネラーの方は書き終えて一言。
「長かったですね。 もうすぐですね。」
私はひと目もはばからず、慟哭していた。
つながるいのちが全部、よろこんでいた。
ありがとうございます