地 縁

名古屋の駅前近くのこの地に一家全員が
養子となって戻ったのは30年前。
それからこの地でなにが起きるのか予想もせず、
生かされてきた。
この地にある山車が「唐子車」という。
この「唐子車」を350年にわたり護り続けたこの地の人々。
今年も10月が巡ってきた。
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地元の他の2車とともに行なう地祭りがある。
そしてイベント的な名古屋祭りへの参加も。
10日は雨で一日順延となった地祭りの日だった。
一年内に身内に不幸があった方は山車には触れることはできない
しきたりがある。
今年は2人。
一人は山車の運行をリーダーとして支えるAさん。
もう一人は山車に乗り込み、からくり人形を操作する
人形師補助の中学生のSさん。
それでもリーダーのAさんは山車にぴったりと
寄り添って歩いていた。
中学生のSさんは、今年お父さんを亡くしている。
おとうさんは8年前、地元の人だけで山車を運営することに
決ってからずっと静かに援助いただいた方だった。
お酒を一滴ものまずいつもジュースで乾杯するような人。
あまりにも若い病死だった。
わが町内の白龍神社で他の地域の2車をお迎えする。
そして神社に三車が奉納し、ちょうちんに灯りをともし、
元社である「神明社」にむけて三車が巡行するのがならわし。
出発前の休憩中、白龍神社の前でゴザを敷いて、
みんなでおにぎりを食べる。
「おーい 飯! 飯!」 貴央さんが誰かに声かけ。
会長さんも「Sくん こっち来て、いっしょに食べようよ。」
Sくんは一緒におにぎりやからあげを食べながら、
大粒の涙をボロボロだしている。
8年前、小学校に山車を引っ張りだして、
みんなに観てもらって、運行のための支援者を募ろうと、
雨上がりの道を、みんなで引いていった。
運動場に轍(わだち)がついてはいけないと、
コンパネを敷いて真ん中にせり出した。
その日はもちつき大会の日だった。
「唐子車」を大勢の子供さんとその親たちが
笑顔で見つめた。
それまでプロの運行集団をお金を支払ってお願いしてきた。
町内に若者がおらず、仕方のないことだった。
ところが小学校に「唐子車」を引き出したその年から、
へたでも地元のみんなでやろうということになった。
そして8年が経っていた。
今日はその日以来始めてその小学校の近くや、学区の
他の場所に「唐子車」を巡行させることになっていたのだ。
掛け声とともに山車を引く。
いよいよ「唐子車」が処女地に踏み入れていく。
不思議な感慨が胸を打つ。
感激でも感動でもない、神様の喜び。?
その日丁度「塩釜神社」の祭礼に当たっていたが、
「唐子車」はそのお宿へと到着。
笛、太鼓の音に誘われたのか、思いもよらず多くの人々が
山車のまわりを取り囲んだ。
みんな不思議に笑顔なのだ。
大きな歓待を受けた。
「来年も来てね!」
「始めて見れて ありがたいなあ」
「よう 来てくださった」
みんなが明るく ニコニコの中で 山車はお別れを告げた。
すべてが奉仕と援助でまかなわれる祭礼。
何百年と続くのは、多くの方の意識に
神様がすんでいるから?
一体感こそ そのもの。
ありがとうございます