11月20日、大阪の「健康と環境」のイネイト講演会に
参加する前に、ある場所に立ち寄った。
それは宝塚の山の手にある大林寺というお寺。
この5月につぶやき「自分への手紙」に書かせていただいた、実の父親の父親、つまり
祖父のお墓がある場所がその大林寺。
遺産相続の遺言確認に大阪家庭裁判所に出向いた日、
初めてお会いしたSさんという女性(いとこ)にお聞きした場所で、
おじいちゃんの墓参が目的だった。
Sさんにお聞きした清荒神さんの駐車場に車を
止め、参道でお花とお線香を購入。
今日は紅葉のせいか人どうりが多い。
隣接する大林寺への階段を登る。
墓の位置がわからないので、
お寺の社務所をさがして、おくりさんにお墓の位置を訊く。
わかっていることは二つだけ、S家のお墓に入っている、
中西・・、という名前だけ。
それでも、おくりさんは快く、お墓の位置図面から
教えてくださった。
「Sさん姓のお墓は二つあります。
ひとつはここだけど、もうひとつが広いから、なかなか
わからないですね。住職がいればすぐにわかるのですが。
とりあえず、この場所へ行ってみますか。?
それで異なってましたら、またお訊ねください。」
お礼を言って、墓地への坂を上る。
たくさんの墓石がある。
最初に教えていただいた、S家のお墓の前に立って、
調べてみるけれど、なんだかぴんとこない。
ちがうみたい。
Sさんのお電話は知っていたので、
電話をしてみようと思う。
最初からそうすればよかったのだ。
そう思ったとたん、坂道を息を切らせて、急いで登ってみえる
おくりさんの姿が。
「すみません。ちがってたでしょう。今住職がもどりましたので、
わかりました。もうちょっと奥のほうです。」
と言って先導される。
奥のほうの列に向かって、その墓に近づいて行く。
もういのちが泣いている。
指差されるまでもなく、わかった。
お墓が呼んでいたかのようだった。
おくりさんは、息を切らせて知らせに来てくださった。
最大の感謝を述べた。
そしてお墓。不思議なこと・・。
真正面に一本の紫色のケイトが凛と咲いていた。
そのお墓だけに・・・。
僕は直感した。
今日この時、おやじも来ている。一緒にお礼を言うんだ。
今日は出征前とはちがう。
ゆっくりできるよ。
中西家の皆さんに感謝を捧げ、
今あることにお礼を述べる。
般若心経を唱えさせていただく。
心が晴れやかになった。
Sさんにその場でお礼の電話をする。
墓石の名前が中西家で、向かって右側があいている
理由がわかった。
そして納骨してある、礎石のみが古くて、
その上は新品だった理由も。
Sさんは受話器のむこうで話した。
「そのお墓は伊勢にあったんです。
いとこの方がみていてくださったんだけれど、
年をとっているので、いつまで墓守できるかわからない。
だから私らの近くに移して、一緒の墓にしてくださるように
私の主人に頼んだんです。
主人はS家の三男ですから、S家に一緒に中西さんを
納めるわけにはいけない。
だから同じ墓地に、もうひとつS家の墓を作って、
隣には私たちが将来入ります。(笑)
そしたら3代か4代は誰かが面倒見てくれるでしょう。」
中西家の長男の長女として生まれたSさん。
こんなにやさしい女性だった。
「もっと早くにお会いできればよかったですね。
いただいた名詞あてに、年賀状を出させていただく
つもりしとったんですよ。」
僕は胸が詰まってしまった。
おそらく人生でたった一度の出逢いとなるであろう
血縁の人たちがある。
おじいちゃんが眠る、大林寺の高台の墓地から、宝塚の町が見える。
すばらしい場所。
ありがとうございます