常滑からのお客様

お店に常滑からのお客様が訪問された。
久しぶりだし、チラッと見ただけで、
担当の社員さんとお話をされている。
「Hさんですよ。」ってほかの方から
言われて急いでご挨拶にうかがう。
27歳で始めて板金の資材販売営業の
担当になったのが常滑地区と幡豆地区だった。
もう30年も前のこと。
その頃出会った方ももう30歳年を加えた。
記憶ではお互い青年だった。


その頃の常滑の町は、常滑焼の不振から脱しきれず、
わずかに競艇と伊奈製陶と漁業で生活する地域だった。
だがなんだかここはきっと良くなると直感していた。
歴史は巡って、不況の街は必ず良くなる時がくると
感じていたからだ。だいたいその周期は30年。
まさにピッタリ中部国際空港セントレアの開港の
時期と重なった。
伊奈製陶が海外や国内の他の地域に
生産拠点を移し、雇用が減った分の穴を、
見事に空港が埋めたのである。
知多半島の西側に面する常滑の町は南北に長い。
町の南のはずれが「小鈴谷(こすがや)」と呼ばれる地区。
有名なねのひの盛田酒造がある。
そしてトヨタの番頭さん石田退三さんやもちろん
ソニーの盛田昭夫さんシキシマパンの盛田さん
の故郷である。
そして女優の中野良子さんも近くの出身。
このように小鈴谷からは他にも日本を背負う多くの
人々が輩出されている。
ものすごく狭い地域なのに。
平家の落武者が伊勢から海をわたって
この小鈴谷の地に流れ着き、
この地にしばらく居ついたという昔話が残っているようだ。
江戸も末期には「鈴渓塾(れいけいじゅく)」という
塾がおこされ、後に石田退三さんや森下信衛さん(戦艦大和の艦長等)が育てられた。
昔と今の話、ご家族の話に花が咲いた。
彼のお父さんは95歳で健在。
杖を突いてお医者さんにでかけることができるという。
人間の歴史はさまざまに異なる。
時間は見事に過ぎていく。
私はかって鈴渓の地に生かされたことを思う。
現在小鈴谷渕前一番地に居住するS板金さんが
愛知の板金組合のリーダーであり、私の最初のお客さんなのだ。
そして会社の会の会長さんでもあるのだから。