狭いと広い

今年はことが起きて、狭い空間を移動することが
多かった。
毎年のようにでかけた海外へも今年は行かない
ことになりそうだ。
会社や家、そして決まったところを日常的に
移動するだけの生活は、気性にはやはりなじまない。
なんだかいのちの炎がしぼみそうに感じる。
マイナスになることだってエネルギーの変化には
違いない。
大きなマイナスから、小さなマイナスへの
変化は、プラスへの上昇だ。
たとえプラスにならなくたって、変化したこと
にはなるから。
そうやって生きている人々も、知らないところでは
たくさんみえる。
僕たちの空間に現れないだけなのだ。
毎日のできごとを知ろうと思わなければ、
メディアのすべてを絶てばいい。
しずかな当たり前の狭い範囲での日常と、深いところへの
回帰の行為が、もしかして物凄く広いところへと
いざなってくれるのかも知れない。
単調な日々を単調と感ずることもない人々が
ほとんどの世の中なのだろうか。
こんな期間が人生にあるなんて、思いもよらなかったけれど、
その期間を楽しんで、できる範囲でもがいてみている。
逃げていたことから目をそむけないで、
キッパリと決意した時、目の前に広大な野原が
開けてくるような気がした。
自らの作った現象の世界が開けている。