ヨイトマケの唄

毎年美輪明宏さんのコンサートと
劇がこの名古屋ではある。
それと美輪さんが名古屋のシャンソン歌手の
育成を祈っての「パリ祭」も。
都合3度の美輪さんがらみのものに、
過去何度かは出向いていた。
特に美輪さんのコンサートや
劇は、ファンクラブの方のお力なのか
もう香水の匂いでクラクラになるような
前の席を確保してくださる。
今年は出向くつもりのなかった昨日の
リサイタルに、出かけることになってしまった。
いつでもそうだけれど、そういうことになっていたとしか
思えないのだけれど。
人生の中で、唄で涙をながすことなどなかった
幼少のころに、始めてテレビから流れた
美輪さん(その頃は丸山明宏さん)の「ヨイトマケの唄」に
恥ずかしながら涙を流してしまった。
「男は泣くもんじゃない」って教えられていたのに。
誰かと一緒に見ていたのなら、もしかして
そんなことはなかったのかも知れない。
涙の理由がなんだったのかは
はっきりとしなかったけれど、それからは
女手ひとつで育ててくれた母親に
すこしやさしく接するようになった気がしている。
幾度かコンサートできいた美輪さんの唄。
数々のいのちをゆさぶる唄に接したけれど、
生で「ヨイトマケ」を聴いたのは昨日が始めて。
この曲ができたわけは以前からすこし
聴いて知っていたけれど、美輪さんが
説明をしている最中からもういけない。
唄が流れると、嗚咽をおさえるのに必死。
恥ずかしいけれど、ボロボロになってしまった。
このお年にしてなんというエネルギーなのだろう。
歌がうまいとかへたとかという
判断を超えた何かふしぎなものが
美輪さんのまわりから伝わってくるのだ。
そしてそのような時、いのちは共鳴をするかのように
何かに引っ張られてしまう。
不思議な色、不思議な波。
だからこそ、いつも満席になる美輪さんのリサイタルは、
そのような誰にでもある根源の共鳴の元を
引っ張り出すかのような力に
呼び寄せられる人々の感激に
満たされるのだろうか。
11月3日の昨日は、亡き母の誕生日だった。
導きのすべてのご縁に感謝しています。