随想 伊路波村から~ポックリさん 031212

名古屋市の東南に八事興正寺というお寺がある。
通称ポックリさん。

昨夜、友人でもあり同業者の社長でもあるMさんの
お母さんの通夜のため、車で葬儀場へ向かう道の途中、
そばを通って、思い出していたことがある。

11/7 は家内の誕生日。その数日後 ハンケチの入った
タンスの引き出しを開けた。

そこに 一通の封筒。表書きはM子さんへ。
家内にあてた おばあちゃんの字。

なにげに 中を見てみた。

中には数枚の福沢諭吉さんと おばあちゃんからの便箋。

「いつも 家のことや会社のこと そして子供たちの世話など
たくさん 世話をかけて ありがとう。
いまのところ私たちは 身体の面倒をかけずに済んでいて、
安心しています。
これからも 迷惑かけないように ポックリいくように
八事に毎月おまいりに行きます。
からだに気をつけて 頑張ってください。
少ないけれど、 なんでもいいからこれを 自分の好きなことに使ってください。」

82歳と78歳のおじいちゃんおばあちゃんコンビは健在だ。
母親の実の娘を思う 気持ちが伝わってきた。

養子となって もうすぐ26年がたつ。
実の父母との関係の期間にもうすぐならぶことになる。

丁度26年前 おじいちゃんの先代の意思を継続するために、
新しい会社がスタートした。
だから ふらふらの事実上の3代目。

この26年間で絶頂と大谷間を経験することになった。
その間本業にいそしむ間は ほとんど事業に口をはさまず、
お金の心配をまったくかけずに、事業に邁進させてくださった
おじいちゃん。

娘や孫には口うるさく映るらしいが大事な時には、いかんなくフィクサーぶりを発揮してきたおばあちゃん。

たいした病気もせず、ここまでふたりで元気に生きてきた。

世の中の変化とともに 事業家にとっては 事業の舵取りが
楽しくも難しい問題となった。

そしてふくらんだ全てのものを 健全にしぼませ、健康体となって、
新しい企業として再出発をすることが、事業家の命題となった。

結果として残された負債は 事業家の責任によって零にすること。
この当たり前のことが できていない世の中なのだ。

そのツケはこの国の人々が 負うことになる。

「意識のネットワーク」などは 父母にとってはまったく関心のないこと。
それよりなにより 健康で安心して 家族みんなが仲良く、きちんと
生活して欲しい。そしてひ孫の顔を 見れるなら見たい。
それが老父母の ささやかな願いなのだろう。

この8年 会社は0かマイナスを繰り返した。
累積した負債は会社のためにはもちろん少ないにこしたことはない。

今年 個人的な会社への貸付金の一部を 放棄することにした。
そのことをすでに退役していて 債権者でもある老父母に告げた。

その数日後 父母から 話があるといわれた。
茶の間で おじいちゃんが おずおずと語る。
「この前聞いたことだけど、私たちの貸付金全部
もういいよ。 お前たちは若いのだから そのままに
しておけばいい。」

なにか仕事のことで 意見があるのだろうとばかり思っていたので、
ポカンとすると同時に、申し訳ない気持ちで一杯になった。

「ありがとう。 お客さんも 社員さんも 救われます。
新しい企業のかたちは もう見えつつある。
きっと安心してもらえる時が来るからね。」

そういうだけで せいイッパイだった。

実は時代はいままでの企業のあり方を 欲していないかもしれない。
そして利益と成長と安定が企業の大方針だったのだが、
むしろ与え合いが基本になり いのちに共鳴する企業だけが
存在を認められるかのように感じる。

私たちが どんな時も輝いてあること。
そして老父母に迷惑をかけず 安心して暮らせる空間を
保つこと。 そんなことが人生の終盤を迎えた父母に
たいする ご恩返しであり 親孝行なのだろうか。

ポックりさんの急な坂道。

支えあって生きてきた父母が、ほっと息つく場所かも知れない。