意識の無限性

「身口意」 仏教の教え三密加持というらしい。

今のコロナさんの「三密」とは違います。

行い(身)

言葉(口)

思い(意)

の三つを正しくする。

この世に生かされる人々にとっては
なかなかに難しい行為だ。

もし生まれながらにしてできていれば
生まれさせていただく理由がないから。

できないから少しでもできるようにとの
仏の願いなのだろうか。

その「身口意」の種類や量も人によってさまざま。
酒場で上司や友達のことを肴に飲む人々にとっては
もっとも遠い教えとなるのだろうか。

親鸞さんの師である法然さんは、高野山で
「一密加持」の教えに出会う。

「三密」である「身口意」のうち、たとえ一つでもいい
できればよしとする教え。
ゆるくて、慈悲深い教えのように感ずる。

出した言葉は宇宙の果てにまで広がり
万物に影響を与える。
思い通りのことを人は行為する。

そして出した意識通りの現実を見る。

いやいや行動すれば、三密は吹っ飛ぶ。
何事も喜んで行動すれば、二つの「密」は成就する。
あとは言葉の使い方のみ。

親鸞さんは仏僧の妻帯の道を開き、
キリスト教のプロテスタントもまたそう。
だから人間らしさの道を開いた教えだ。

法然さんが好み。
やさしく慈悲深い。
できないことを「ヤレ!」と言われる切なさをやさしく包む。

一つでもいい。
まず出来ることからと思う。

そして犯してしまった「身口意」の破戒を
すぐに消しながら、生かされるように願って
この先を歩いていこうと思う。