他を助けたいという望みは それが本当に利己的でなければ すでに成就している

なかなかに信じられないことですが。

元一つの考えが身に染みていて
他の何かの助けになりたいという望みが
あったなら、それはすでに成就していると言います。

「世のことは 思った通りになる」
「出した意識が 現実を結ぶ」
「押したら返る」

自然の法則です。

他に対しての願いや望みは普遍的な意識であれば
すでに願った時点で成就しているとは。

起きることは結果の世界。
それを起こす原因の世界がこの世の真理です。

その意識(神)の分霊(ワレ)を唯一の実在、
永遠に存在する実在と認めるならば、
人々のいわゆる自然法則を超越した力を
発揮するようです。
このことが私たちの神我(キリスト)顕現と言われます。

それを知る者には、分離はなくなります。
分離がなければ、不可能はありません。
自然法則を超えるのでしょう。

揺れ動く人間は、絶えず感官に支配されます。
感官を捨てるならば、何ゆえに人間としてこの世に?と
抵抗します。

トマスは最後までイエスの再臨を信じず、
イエスの手でその腹に手を触れさせられて
初めて、死がないことを悟ります。

あるものは実在だけだと心から信じ、
きたるべき大いなる世界を展開する媒体が
個の意識だと認識できれば、より高き次元の
法則を知ることができるのでしょうか。

キリストは肉の中に顕現した神でしょうか。

そして私たちはすべてキリストと言えるのでしょう。

実相とは「愛」