神の使者から奇跡の道へ その24~赦しは幻想の世界では・・

「赦しは幻想の世界では唯一真実と繋がるもの」

世界が幻想だとは思えないならば
自我を手放していないことになりますね。
やっかいな自我ですので、この世界では
手放していない人はひとりもいないですね。

この世界では全員が「病気」と飯島さんも
おっしゃっています。
そのとおり。トホホです。

「癒しとは赦しの強さのしるし。
又は象徴である。」

ささいなことぐらいなら赦せますが、
名誉にかかわることや、嫉妬に関わること、
また盗み、引き離し、そして肉体を失うことなどは
なかなか赦せないものです。

でももし大変なことを心から赦せたら
きっとそれぞれの人生での醍醐味を
味わえて、さらに信じられない世界(幻想)が
目の前に展開されるかも知れません。

何にしてもやってみるしかありませんね。

自我は相当手ごわいですね。
拒否して防衛します。
少しだけ実相を拒否することはできないように
なっています。一部を拒否することは全体についての
自覚を失ったことになるから。
拒否とは防衛のことです。

厄介な自我ですが、もし自我の切り札である
人間の死(このことがすべての元)について
思いめぐらすとき、
、または死にたいような目に遭ったときには、

「自我の望みである死への願望に
屈したい誘惑にかられるとき、私(キリスト)は
死ななかったということを思い出しなさい。」

「自我はあなたを愛していない。
自我はあなたがなんであるかに気付いていない。
自分自身を愛のない存在として見ることを
選ぶなら。あなたは幸せにならない。」

「赦しは幻想の世界では唯一真実と繋がるもの」