「ユダヤ人に対する抵抗」 奥の院通信 R3 3/3

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ユダヤ人に対する抵抗

 先の通信で、1290年にイギリスのエドワード1世が、国内のユダヤ人を全て追放したことを書いた。しかし、ヨーロッパでは、その前の1254年にフランスがユダヤ人を追放していた。この時のフランスはカペー王朝第9代のルイ9世の時代であった。ルイ9世は父のルイ8世死去に伴い12歳で即位し、1270年に死去するまでフランス王の位にあり、在位44年であった。即位当時は幼かったので母のブランシュが摂政を務めている。

 1229年15歳でプロヴァンス伯レーモン・ベランジェ4世の長女マルグリットと結婚し、親政を開始した。妃マルグリットの妹エリナーは、イギリス王ヘンリー3世の妃となっているので、この時のイギリス王ヘンリー3世とは義兄弟の仲であった。義弟となったヘンリー3世の息子エドワード1世は甥に当たる。

 イギリスのエドワード1世がユダヤ人を追放する前に、彼の叔父でフランス王ルイ9世が、ユダヤ人をフランスから追放している。彼はその時、40歳であったが、その36年後に、甥のイギリス王エドワード1世が、イギリスからユダヤ人を追放したのであった。最初フランス王ルイ9世がフランスからユダヤ人を追放し、その後、彼の甥エドワード1世が1290年に、イギリスからユダヤ人を追放している。その間、1283年と1296年の2度にわたって、ドイツがユダヤ人を追放している。

 当時のヨーロッパにおける大国フランスとイギリスがユダヤ人を追放したので、その後ヨーロッパの国が相次いでユダヤ人を追放している。それ程ヨーロッパでは、ユダヤ問題が常にどこでも解決不能な大問題であり続けたのであった。唯一の解決策は彼らに他所に出て行って貰うことであった。歴史には、この大問題はほとんど登場しない。ただ、「ユダヤ人は迫害を受けた」とだけ出てくる。

 その後も、フランスでは追放されたユダヤ人は戻ってくるので、1306年にフィリップ4世(カペー朝)がフランスからユダヤ人を追放している。そしてまた1394年には、再びシャルル6世(ヴァロア朝)が「すべてのユダヤ人を永久にフランスから追放する」という勅令を出した。

 その後もヨーロッパでは、1492年にスペイン人が、1496年にはポルトガルがユダヤ人を追放している。その他のヨーロッパの国も、相前後してユダヤ人を追放した。この時代はヨーロッパの国々がユダヤ人を追い出して、非ユダヤ人がユダヤ人に抵抗し勝利した時代と言える

 しかし、彼らは執念深い。きちんと起きた出来事を自分たちの都合の良いように、嘘も含めて後世に伝えている。エドワード1世がユダヤ人を追放しておよそ300年後の1600年に、彼らはイギリスに戻ってきた。そして、そのおよそ半世紀後の1649年、イギリス国王チャールズ1世を公開処刑に処した。その上で、ユダヤ人はこのイギリス王弑虐事件に「清教徒革命」と言う美しい名前を付して歴史に残した。

 

 また、フランスのルイ9世がユダヤ人を追放して500年後、フランス王ルイ16世をギロチンで処刑した。そして、またこのフランス王弑虐事件を「フランス革命」と命名し、人類の偉業として歴史に残している。その時には、ユダヤ人は復讐の意味も込めて、フランス人大虐殺を敢行して、完全にフランスの支配権を手に入れた。

 その後の世界の歴史は、ユダヤ人が次々に戦争を引き起こし、そのたびに富を収奪し、支配圏を拡大し、最後は先の世界大戦で、最後に邪魔になった王国である「日本国」を潰し、世界制覇を成し遂げたことは、歴史が証明している。

 ところが最後に日本を仕留め、世界支配が完了したと思ったら、その70年後に、彼ら子飼いのアメリカ合衆国に、突然、邪魔者ドナルド・トランプ大統領が現れて、彼らのなすことに異を唱え、新たな騒動となっている。その行く末は、まだ決着が付いていない。