「どこまで人を許せるか」
塩見 志満子 のらねこ学かん代表
長男が白血病のために小学二年生で
亡くなりましたので、四人兄弟姉妹の末っ子の
二男が三年生になった時、私たちは
ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように
死んだりはしない」と喜んでいたんです。
ところが、その二男もその年の夏のプールの時間に
沈んで亡くなってしまった。長男が亡くなって
八年後の同じ七月でした。
近くの高校に勤めていた私のもとに
「はよう来てください」と連絡があって、
タクシーで駆けつけたらもう亡くなっていました。
子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、
ごめんよ」と。「どうしたんや」と聞いたら
十分の休み時間に誰かに背中を押されて
コンクリートに頭をぶつけて、沈んでしまったと
話してくれました。
母親は馬鹿ですね。「押したのは誰だ。
犯人を見つけるまでは、学校も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。
新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら
駆けつけてきました。そして、私を裏の
倉庫に連れていって、こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を
変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の
両親はこれから、過ちとはいえ自分の子は
友達を殺してしまった。という罪を背負って
生きていかないかん。わしらは死んだ子を
いつかは忘れることがあるけん。わしら二人が
我慢しようや。うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ
書いてもろうたら、学校も友達も許してやれるや
ないか。そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、この人は何を
言うんやろうかと。だけど、主人が何度も強く
そう言うものだから、仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も・・・。
こんな時、男性は強いと思いましたね。でも
いま考えてたらお父さんの言う通りでした。
争うてお金もろうたり、裁判して勝ってそれが
何になる・・・。許してあげてよかったなぁと
思うのは、命日の七月二日に墓前に花がない年が
一度もないんです。三十年も前の話なのに。
毎年友達が花を手向けてたわしで墓を
磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、
お金はもらえてもこんな優しい人を育てる
ことはできなかった。そういう人が生活する町には
できなかった。心からそう思います。