「ドイツの第二次世界大戦時」 奥の院通信 R3 5/18

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1939年(昭和14年)9月、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。そしてその年11月にチャイム・ワイツマンがユダヤ人社会を代表し、ドイツに対して宣戦布告をしたことについては既に書いた。(5月14日奥の院通信参照)。

 ここでドイツは自国内にいきなりユダヤ民族という敵国人を抱えてしまったのであった。ワイツマンは、「全世界のユダヤ人を代表してドイツに宣戦布告をし、ユダヤ人はドイツの戦争相手である大英帝国側に立つのであり、民主主義国側に立って戦う。ユダヤのあらゆる機関はユダヤ人の人力、技術能力、資源などを使用するべく、直ちに用意を調える態勢に入る」と宣言したのであった。

 チャイム・ワイツマンは1874年ポーランドに生まれ、ドイツのベルリン大学で学び、その後ユダヤ人運動(シオニスト運動)をするのに好都合なイギリスに渡って、1917年に大英帝国の外務大臣バルフォアに「バルフォア宣言」を出させた人物である。これはイギリス外相が第一次世界大戦に際して、ユダヤの支援を取り付けるために、戦後はパレスティナにユダヤ人の国家を建設することに同意した宣言である。1920年から1929年まで、世界シオニスト機構議長を務め、1935年には再度同職に就いている。そして1948年にイスラエル国家が誕生すると同時に、初代大統領に就き1952年在任中に死去している。

 こうした経緯を見ると、このチャイム・ワイツマンは、ドイツを第一次世界大戦と第二次世界大戦の双方に引きずり込んだ張本人であったことがよく分かる。しかし、彼の名前はイスラエル初代大統領としてしか知られていない。戦争はどの戦争もユダヤ人が引き起こすと言われるが、ワイツマンはその典型的な人物である。もちろん、彼もユダヤ社会を代表して、イスラエル建国という彼らにとっての正議のために頑張っていたのであるが、結果として、彼らがホロコーストを引き起こしたと言える。その責任の全てをドイツ国家とドイツ国家を代表してのヒットラーに負わせている。世紀の厄災を造っておいて、その責任を他人に負わせているのである。

 ドイツはいきなり自国内に60万人の敵国人を抱えた状態で、イギリス、フランス、ソ連、後にアメリカと第二次世界大戦を戦うことになった。つまり、ドイツはイギリス、ソ連、アメリカなどの連合国とユダヤ人との連合を相手に戦うことになったのである。この1つの敵国ユダヤ民族が、今ではドイツの敵国であったにも拘わらず、そのユダヤ民族は戦争には関係のない可哀想な人たちであったということになっている。ただ、彼らは国として扱われていないだけで、まさにドイツにとっては中心的敵対国であった。この関係を抜きにしてはドイツの第二次世界大戦を語ることは出来ないはずである。ドイツにとってはユダヤ人こそが、戦争の相手国(国ではないが敵対勢力)だったのである。

 その後、戦争が激しさを増すにつれ、ドイツ国内でもユダヤ勢力の敵対行為が目立つようになり、ドイツ政府もユダヤ人を隔離し、敵対行為をさせないような措置を講じざるを得なくなった。何の罪もないユダヤ人を強制収容所に送り込んで、彼らを虐殺したというのが、現在伝えられている物語であるが、とんでもない話なのである。

 ドイツ国民が何故この物語に抗議しないのかがむしろ不思議である。ユダヤ人(DSら)としては、彼らが抗議し始めるのが怖いから、戦後およそ半世紀も経ってから、このことに触れたら刑務所行きとしたのである。これについては語るな、書くな、としたのである。そして、彼らはドイツ国家の指導者を慎重に選んでいる。メルケル首相の長期政権もその一例である。

 ドイツ国内では、これらの事実が分かっている若者たちが時々抗議運動を起こす。しかし、彼らは「ネオナチ」と言うレッテルを貼られ、何か無知な暴力集団のように扱われる。日本では「右翼」「極右」と言う言葉が用意されたが、ドイツでは日本とは比較にならないほどに、無数の言葉が用意されている。メディアもこの「ネオナチ」と言う表現をことあるごとに使用し、「600万人虐殺神話」の虚偽を隠蔽している。同時にまた、大戦後にユダヤ人がドイツ人を大虐殺した事実も隠蔽しているのである。これが、欧州における「ホロコースト」問題の真相である。

 「アンネの日記」、「ユダヤ人強制収容所」、「ユダヤ人大虐殺」、「水晶の夜」、「アウシュビッツのガス室」など、多くの言葉が用意され、ナチスドイツとその代表とされたヒットラーが極悪人としてのレッテルを貼られているが、真実は全く異なったものである。それが明らかにされる日も近々来るかも知れない。