「裁判が続く」 奥の院通信 R3 4/24

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ヒラリー・クリントンの軍事裁判が明かす。
 1993年7月20日、ビンス・フォスターがバージニア州のフォートマーシー公園で後頭部に数発の銃弾を打ち込まれて死亡しているのが発見された。彼はヒラリーの夫ビル・クリントンのホワイトハウスでの次席法律顧問をしていた。ヒラリーとはアーカンソー州リトルロックのローズ法律事務所での同僚であった。

 フォスター氏のこの死は、公式調査では自殺とされた。仕事上の失敗で、ビルとヒラリーを失望させたことを苦にして命を絶ったとされた。ここで、シュレッダーに掛けられたが丁寧に復元された文書が提示された。この書面は「フォスターの辞表」と言われているものであるが、4人の筆跡鑑定が等しく「巧妙に偽造されたもの」と断定した。そしてこの書面(手紙)は、それから25年も経った2017年8月までは銀行の貸金庫に隠されたままだった。

 この裁判で文書は読み上げられた。「もし私の身に何かが起きた場合、この手紙が発見されることを願っています。私に自殺願望はないことを明確にしておきます。もし私が行方不明になって死亡したりした場合は、ヒラリーとビル・クリントン以外は調査する必要はありません。彼らは私が知っていると言うことを知っています。彼らは昨年の6月に起きた退役軍人省から2300万ドル(23億円相当)を押領しました。そしてそれを、彼らの多くの非公開口座、多くの海外口座に別けて預金しました。私はもっとよく知っておくべきでした。彼らは悪であると同時に貪欲でした。私が黙っていると約束したことが、良いことであったのかどうか分かりません。」とあった。

 検事役の中将は言った。「トランプ前大統領はこの手紙を公表しませんでした。何故かというと、彼は軍にヒラリーに対する完全な証拠固めをする時間を与えたのです。」と。彼は殺害された可能性があるとほのめかしていました。

 その年の退役軍人省の記録を入手し、綿密に調査した結果、フォスターが明かした通り、2300万ドルの食い違いが分かり、記録はその後「雑多な調査費用」に使途が変更されていた。

 ここまで明らかにされた段階で、検事役の中将がヒラリーに「何か言いたいことがあるか」と尋ねたが、彼女は裁判中ずっとそうであったように、薄ら笑いを浮かべながら話すことは拒否した。

 そこで中将は「それでは言いたいことがある人がいます。」と言った。ビル・クリントン大統領の下で、大統領顧問を務めた弁護士のバーナード・ウィリアム・ヌスバウム氏が、ビデオ会議で法廷に参加した。

 ここで、彼は「1993年6月、ヒラリーが当時ホワイトハウスのスタッフだったジョン・ポデスタに「ビンス・フォスター氏が自分とビルの両方にとって、深刻な脅威となっているので、何とかする必要があると話しているのを耳にしていました。その1ヶ月後に彼は遺体で発見されました。」と証言している。

 ヒラリー夫妻は長年にわたって、多額の公金横領などを行って、それを隠すためには簡単に人を殺してきた。これがディープステート・奥の院の大物たちが行っていることである。今回たまたまヒラリーが拘束され事情が明るみに出たが、これは単なる氷山の一角に過ぎない。

 これまで、ディープステート・奥の院の連中はどんな悪さをしても簡単に逃げられたが、トランプ前大統領が大統領に就任してから様子が変わってきた。奥の院・ディープステートが最も恐れるのは、自分たちの悪さと言うものがバレることである。これまではことを隠蔽し、バレたら誰か他の人の所為にしてきた。しかしそれも、今回のバトルでそれがし難くなってきている。世の中が根本的に変わる兆しなのかも知れない。