テネモスミーティング名古屋 1/25ご報告 その2

Yさん(女性):年末年始にインフルにかかった。
骨折も経験。椿大社に行って、平戸のマリアにと
直感が。隠れキリシタン。マリア。バチカンは
島原で隠れキリシタンのイメージで行った。

資料館、表向きは仏様、裏はキリシタン。
グレゴリオ聖歌、みんなで唱えれば至福感。
何か信じるものがあれば幸せ。
糸島、桜井神社の急な階段でツルっとすべって
顔から落ちた。
歯もほほもボロボロに。

Aさん(女性):スマホもって一年です。情報をすぐ
得られると思う。ユーチューブ、ブログ、フェイスブック
導入から、入っていくと関わるということって、
色んな人に出会うってことになる。
岐阜へ行って、釘本さん、Yさんのブログに書いてある
ことと同じ話を感じた。以前に飯島さんが言っていた。
漁師さんで、太平洋の真ん中で魚を腐らすと、ハエが来る。
無からハエがくる。無から有。

イスラエルツアー35人の旅。
仲間は7名。
ミサは毎回ある。
朗読と意思表明。一人一人が行う。
毎日変わる。
合唱、みんなで歌う。
初めての体験ばかり。
イスラエルと日本の関りを知りたかった。
ハードな旅。教会関係者ばかり。
買い物の機会もなかったし、少ない。
80過ぎの方4~5人みえたが無事に旅した。

Hさん(女性):あんでるせん、まさに無から有。
楽しく、おいしかった。3か月でできるといわれた
誰でも。あてられた。0-99の間で好きな数字を
言って。と言われたが途中から30ー100に変わった。
数字をイメージしてくださいと言われた。
7台の数字がイメージで、61が頭にポンときた。
70を書こうとしたら手が61と書いてしまった。
操られた感じ。

玉手箱に御酢(玄米酢)の奇酢家宝が入っていた。
まろやかで白湯に少したらすとおししい。
非常用にパスタソースとか買ってあるが、
すぐ期限がくる。無駄なものをやめなさいと
主人から言われて、今年の目標。
御酢をたらしたら生き返った。
味が戻った。
いろいろやってみます。

セロリの茎がフニュフニュだった。
バンブーしたらすぐ生き返る。
もともと元気なものはすぐ元気になる。

Oさん(男性):カタカムナの吉野信子さん。
ユーチューブでわかりやすかった。
意識が起きて始まり愛で循環する。
色んなものは見る方向が異なるだけで、
同じことを言っている。
カタカムナですべてのことを読み解く。
興味のある人はどうぞ。
数字、言葉にすべて意味がある。
現象を読み取る。波動で調べても同じことになる。

本源、根本からはずれるとさまざまなことが起きる。
一般的には外を見て比べるが、すべては中にあると気づくと
豊かな人生が送れる。
良くも悪くも、思ったことが現れる時代となった。
ワクワク人生が送れる。

Iさん(男性):お正月の初日の出、スマホで撮れず。
心拍とカメラの連携もおかしくなった。
フェイスブックに上げれず。
メッセージがくると腕に振動が来るようになっていた。
スマホの故障で少しSNS離れとなっている。取り残される恐怖。
すこし改まった状況で、切り離されている喜びを味わう。
必要な情報を取りに行けばいい。JOMO(ジョイオブミッシングアウト)
が良い。SNSを見直そうと思っている。
吉野さんとかクラリオン星のこと今日知って、SNS停まって
良かったと思った。

川崎の千葉和人さん。出身星を見立てる人。
ダウンジングで。参加者はほぼシリウスが圧倒的。
自分一人だけニビルだった。支配階級。だから
人間を人間とも思えない。
ふつうは星を思い出させないプロテクトがかかっている。
トランプは地球人。
千葉さんとまるえいさんに以前よく見える方の二人のみ
日本では地球人。

テネモスミーティング名古屋 ご報告 1/25 その3

Gさん(女性):星人、こども惹かれるものはある。
吉野さんの思念表ーカタカムナも。星はちょっと
ついてはいけない。吉野さんのカタカムナは現状での
説明がつく。飯島さんが言っていた、情報はすべてある。
アンテナで受信しているか。なぜ受信できないのかの
学びをしている。

生まれ変わりのブロックがなく、小学生のように
連続で生かされる人もいる。

ブロックを解く。アンテナで受信できるように
なることが、だれにでもできるようになる。
普通の人でもやれるようになる可能性。

150年~200年先に幸福な時代がくると
Y先生が語った。それから70~80年がたっている。
あと5年くらいで今わかっている人がなる。
20年くらいですべての人がなる。

眠っているときもさまざまなところへ行っている。
そのようなことを今しきりにやりたい。

Yさん(男性):女性が多い。転生の話に集まる。
障害を持った子は親は選べない。

Gさん(男性):イスラエルの話。
一人行動が多かった。

パレスチナとイスラエル。パレスチナは貧しい。
クリスマスの時期にパレスチナは今まで祝うことが
なかった。今年はツリーも電飾も多かった。イスラエルを
受け入れるようになってきた。いい傾向。
世界的に対立行動をやめようという流れ。
ネタニヤフは対立。新しい人がなれば融和政策となるが
負けた。対立が根深い。

嘆きの壁で強い何かを感じた。
暖かいものを感じた。歴史。

マッサダの砦、キブツに興味があった。
コンピューターも進んでいる。

イタリア人のマルセロさんが主の旅。
マルセロさんにいろいろ聞いた。悪魔祓い、秘儀
神父さんの話は面白いと感じた。「バチカンテープ」

つづく

随想 伊路波村から126~ディープインパクト

ディープインパクト

「いっぺん寝て、そのころ起きるから」
といって8時ごろ寝入った昨夜。


隣室の「ディープインパクトが・・・・・」
というテレビ音に始まるのかと飛び起きた。


隣室では家内がめずらしくNHKのドキュメント
を見ていた。


無敗のまま三冠馬となったディープインパクトの
ドキュメントだった。
この番組が終わったあとNHKはフランスの
凱旋門賞をライブ中継することになっていた。


それで早寝してその時間に起きようと思ったのだ。
フランスのロンシャン競馬場。
なつかしさに心が躍る。


土木の仕事を辞して、名古屋での建築関連の
今の仕事に変わる、変わり目の時、ヨーロッパを
旅した。長男が生まれたばっかりだった。


学生時代から大好きだった競馬。
開催のない競馬場を見ることだけでも
嬉しかった。


パリでの旅行中の自由日、一人でロンシャン競馬場に
行って、午後から終了までいた。


馬券の買い方もわからない。
なんせフランス人は英語を話さない。
もっともこちらもできないけれど、
読むことくらいはすこしはできるのに、
フランス語ばかりなのだ。


それで幾度か馬券を購入して、
自分のえらんだ馬が優勝したりしたのに、
よくわからないまま帰ってしまった。
それでもよかった。
パドックでは盛装した紳士や貴婦人が
木の下に集っていた。
なんとも優雅な風景。


なんだかその頃ゲートがなかったような気さえしている。
ただ係りの人がヒモでスタートラインを
作ってヒモを離してスタートだったような。
ハッキリしない記憶。


直線をただ走るだけのレースもあったような。
いよいよ凱旋門賞が始まる。
八頭立て、
ディープインパクトの馬番は1番
で枠番は2番、これでわかった、
さっぱりフランスの競馬がわからなかったわけ。


馬番と枠番が日本と異なってまったく関係ないのだ。
32年前の疑問が解けた。


またそのことをその間知ろうともしなっかった自分が
おかしくなった。


レースが始まった。
武豊騎手はほんとにうまく乗っている。
父親である武邦騎手とそっくりの乗り方。
直線、日本からの応援もきっと届いたろうけれど、
ディープをマークした2頭に差されて3着だった。


武豊騎手はさすがに悔しかったのか、
インタビューアーの質問にまともに答えれない。


調教師の池江さんはディープインパクトの
国際レース再挑戦をテレビカメラの前で誓った。
なつかしいロンシャン競馬場が一時間
ずっと画面にあった。


私は、家内よりも生まれたての長男にもの凄く会いたくなった

あの20代後半のヨーロッパへの旅を思い出していた。

随想 伊路波村から127~社員さん旅立つ

連休明けの7日、社員さんのお父さんから
電話があった。

「あの・・・Tが4日の朝急に亡くなりまして、
6日に密葬を済ませました。」
あまりのことに絶句。

「もうお医者さんもびっくりするくらいだったんです。」
80歳を超えてみえるだろうお父さんが、
気丈に話す。

「何にもできなくて、ほんとにすみません・・・。
お父さんお母さんもだいじになすってください・・・。」
電話口のむこうで嗚咽が漏れた。

1ヶ月を過ぎる入院。
だけれどまさかこんなにはかなく逝ってしまわれるなんて。
ほんとに一体どうなっているんだろう。

彼は独身、56歳に今年の11月になるところだった。
楽しいことも少なかっただろうに。

15年間病弱で定期的に幾度か入退院を
繰り返していたけれど、とてもまじめで、
毎月のお給料日の日報には必ず、

「厳しい時代ですが、今月もお給料をいただけました。
ありがとうございます。」
と必ず書いてみえた。

特殊な性格の故か、社員さんにあんまり好かれて
いたわけではないけれど、黙々と偽りなく、効率的に
働く人でした。

あなた様によって多くの人が学びをいただきました。
私は社員さんが現役で亡くなるという経験を持ちました。
大きな体験です。

どうぞもうしっかりしなくていいですよ。

ゆっくりお休みください。

そんな風にお伝えします。

なくなる少し前に撮らせていただいた
ケイタイの写真。
すこしでも、よくなりますように、元気にまた
仕事に出てこられますように、
お祈りに持って行こうと思った写真が、
胸のポケットにまだあったのです。

時は流れて  020830

朝通勤の車中で信号待ちをしていた。

目の前の太平通り(国道)の端を左側通行であるく
ひとりの中年女性が目に入った。
車道を歩いているのだ。

白いブラウスに黄色いスカート姿。
うつろな表情で黙々とそしてふらふらと歩いている。

ものすごいスピードで女性のヨコを通過する車の群れ。
彼女にとって法律も恥じらいもそして生きる目的も
何も意味をなさないかのよう。

それでも活かす力は車道の一番端を歩かせている。
胸が一杯になった。

彼女に何があったのだろうか。
今を捨てたいわけは何なのだろう。

何故そのシーンを自分は見たのだろうか。
行き過ぎればあったか、なかったかのようなこと。

それでも想いだすもっと以前の過去のシーンは過酷なもの。
自分に関わることだったらあまりにも重大なことなのに。
彼女の家庭はどんなだろう。

どんな想いで家族は暮らしているのだろう。
替わってくださっているあなたよ、どうぞいのちを生きてください。
祈らずにはいられない。

時は流れて、

今の幸いを大きく受け止めた朝でした。

随想 伊路波村から128~たまに


おととい、ひさしぶりに飲み会に参加。


経営者のみなさんのお話を聴いて、
たまには現実もいいなあと思う。(笑)


こちらから出る言葉も確認できた。
ちょっと気になる男性がいて、
だいたい一月に一度お話を聴きに出かける。
この前は3人で聞くところが、
一人が急にこられなくなって、
二人で聞いた。


あとで大須へ行って、お食事した。
お目当ての「健福」さんが、27日まで
お休みで、万松寺通りを西へ抜けた。
何年ぶりかのこと。


若者と外国の人たちが目に付いた。
また次のお目当てのところ「御幸亭」さんが
まだ開店前。
それで「キッチン ニュートーキョー」へ。


お食事をご一緒していただいた方は
もう9年ほど前にあって以来の知人だけれど、
二人だけでのお食事は始めて。


子どもさんは、おなかの中にみえるころから
知っている。(笑)
やっぱり二人だけでの話しや時間は
貴重だと気づかせていただく。
不思議な方と思っていたけれど、
やっぱり見ている・・・人だった。

この方はハープで一世風靡したKさん。


ケイタイが鳴って、兄が名古屋駅に到着するので、
大須でお別れした。


これから以後、ともに学べることは幸いと感じた。


その後名古屋駅で兄と会った。
「楽天」さんで二度目の夕食。(笑)
二年ぶりだろうか。
今年で66歳。


「あいさつ回りだけで半年かかるわ。」と笑う。
それから自分の働いている今度の職場の
優秀性を難しい言葉で続ける。


久々に兄貴らしさに触れる。
幼いとき、ともに言い知れぬ苦労をした二人だ。


父親代わりの兄貴の背中は丸く、
大変な思いをたくさんしょって・・・と、
後姿を見送る。


ありがとうお兄ちゃん。


たまに・・・の多かった一日。


たまにが、いいようです。

 

 

彼は11年後の2019年1月に旅立っている。

随想 伊路波村から129~みんな聞いている

「お世話になったから、
もうそのお礼ということで、
いいじゃないですか。」

少しもケイタイにでないという
お客さまへの対応を社員さんと
お話した。

すこし残った代金のことだ。
そんな話を取り交わしたあと、
彼はふたたび電話した。

そしたらケイタイに出られたお客さま。
2ヶ月ぶりだそうだ、出られたのは。

「あんな話をまるで聴いてみえたようですね。
境目がないですね、いのちって。」と声かけ。

そしたらその社員さん。
「実はこんな話があるんです。」と口をきった。

彼の友人のお話。
その友人は引っ越すからと、
古くからあった室内の「ゴムの木」を
もうほかそうと家族と話し合っていた。

そしたらその「ゴムの木」にみるみる元気が
なくなって、枯れそうになった。
これは大変ということで、鉢を大きくしたり、
好物のビールやミルクをあげたり
したら元気になった。

そんなことがあって「ちゃんとおまえも連れていくよ。」
って宣言したら、もうそのまま元気だったそうな。

「そうですよね、だから植物も机も
あらゆるものって繋がってますね。
そしてみんな聞いているから、
なるだけいい言葉を使いたいものですね。」
そんな今朝の会話だった。

自戒も込めていた。(笑)