小さい頃から35度代の体温の女性が一度近くも
上昇して36度代になりました。
5万2千円とちょっとしますが
疲れ気味の時 90分間くらい横になりますと
グッスリ眠れます。
最初はフラフラになるかもしれません。
きっと血流の促進がされるからと感じます。
表使用があまりにきつい場合は 裏使いもOKです。
これは冷え性と 不眠症の方には
ほんとにお奨めです。
きっとビックリされることでしょう。
ご参考になれば幸いです。
ちょっと宣伝がはでですが 船井さんのホームで
PRリンクされていました。
セラピュアサラ
月例短観0801 「始まりの時」
ビックリの日
今朝は38年ぶりに再会の
学生土木時代の先輩が 会社に訪ねてくださった。
お仕事の途中だからと小一時間で
お別れと成ったが あっという間のなつかしい
時間をいただいた。
すこしも変わらぬ方。
相変わらずのやさしさでいっぱいだった。
お昼になって 会議室で食事中のテレビジョンに
圧倒的なシェアをほこる 仕事に関わる最大の
薄板メーカーさんが 公正取引違反の疑いで
捜査とあって びっくりした。
私たちの仕事に直結している事柄なのだ。
パソコンを見れば ヤフーのニュースに
サンラワールドのM先生が 出資法違反の告発を
受けたとあった。
驚くような現実が目前に現れて
今までの時代からの変化への兆しを
感じている。
会社設立後30年目を向かへ 続けることの難しさと
変化することの大切さのふたつもまた
実感する 時を迎えた。
すべてのできごとに 「ありがたい」と祈りたい。
天音天画 0712
革新の世 コラボレーション
さまざまな世界で革新が進んでいるような気がしている。
それもテーブルの上で叫ぶ人々たちによらず
テーブルの下で上に出ることも望まず
粛々と信じる道を歩み続ける人々によって。
農 工 商の各分野で 士が一番遅れている感じ。(笑)
情報革命がもたらすものは 情報の伝達速度と
量と 人間が動く必要を最小限にすることだろうか。
ただ情報の質は 個人の資質と運命によることは
やはり 変わらない。
自分しだい。
すべては掌握されているのだから めったなことは
情報通信のネットワークの中では語れない。
どうでもいいことや 個人の日常のことや ロマンや芸術
経済なんかはいくらでもOKだけれど。
幾度も訪ねた 能登の「モーセの墓」や 富山大学学生寮の
近くにある皇祖皇体神宮の竹内文書 東北 戸来のキリストの墓
四国徳島の剣山 カゴメの唄 伊勢神宮参道の灯篭に刻まれるカゴメ紋
イスラエル エルサレム 天皇家とユダヤ王朝
奈良の石上神宮 三重の瀧原宮 そして伊勢神宮
過去の旅の一切が数珠に繋がれるかのように
輪になった 昨年の暮れ。
何ひとつ無駄はないけれど 知識や智慧をつけたとて
なんということもない。
行動がすべての変化を生む。
革新の人々による コラボレーション。
だから15年も動き回って 会ったんだ。
いよいよなんだ。
ほんとに「いのち」がかかるんだ。
覚悟した。
健福さん
昨年10月 台湾正食中華の「健福」さんに
ひさしぶりに食事に出向いた。
大須中華街にある。
年中無休のはずのお店なのに 「料理長が台湾に帰省中に
つき しばらくの間お休みさせていただきます。」と張り紙。
何かわけあり と直感した。
年末に再び出かけた時は 営業中でホッとした。
日本人の店長さんはお休みだった。
肉 魚なしの完全正食のお味は とてもやさしくなっていた。
そして年があけて正月早々また行きたくなって
出向いた。 べつにベジタリアンでもなくて 人でも食べようと
いう人間なのに。(笑)
やっぱり店長さんがみえなくて 店員さんにお聞きした。
そうしたら・・・・。
「お店 料理長が譲ってもらったんです。東京にも3つ
お店があるんですけれど 名前は健福と残して
やさしくてベジタリアンの社長さんが ただ名古屋に
残したいからと 譲ってくださったんです。」
という たどたどの日本語でお返事。
台湾は国民の3-4割がベジタリアンとか。
そしてその冷凍食材の種類もとても多い国。
その台湾伝統の無毒無害の宮廷料理を提供する
この「健福」さん 味はますますやさしくなっていた。
お昼は結構繁盛している様子だが
夜がまだまだ この中華街も平日は閑散としている。
なんとか 応援したくなってしまう。
ほんとうにおいしいんです。
今までなんとかしのいでみえた店長さんの
今後を祈った。
ガンバッテください台湾料理長!。
「健福」
2008年 賀状から
開けました
皆様 おめでとうございます。
予想に反して 一転快晴の元日です。
午前9時30分集合の 地元の元旦祭に出向くと
開始10時の準備はほとんど終了していました。
寒いお社で待つ事15分。
次々に詣でる氏子代表さんにご挨拶
と ある方がみえて席につくなり
三段飾りの 酒台が音をたてて崩れました。
ところがお酒は 一本もわれず
けが人はひとりもありません。
こちらは予期せぬできごと。
しかし そこは かんながらの氏子さんたち
なにごともなかったかのように 整然と処理をし
元旦祭は終わりました。
帰途 すでに初参り済みの白龍さんの前を
とおりましたら 女性宮司さんがなにやら
御手洗の儀式中。
新年のご挨拶とともに 無事な白龍さんの存続を
喜びました。
親子の宮司さんが 続いて亡くなられ
奥様があとを お継ぎになるこの白龍神社。
名物の大晦日のおもちつきも
それを取り仕切っていた名物男の人物の
ご逝去とともになくなりました。
新しい夜明けを 女性宮司さんとともに
感じさせていただきました。
なにやら波乱の幕開けでもありました。
ようこそ 新年。!