16・自己の本性は何でしょうか?
真理の内に存在する者は自己のみである。
世界や個々人の人格、そして神は、
真珠母貝の銀色の輝きのように、
自己の内に現れるものである。
これら三つは、同時に現れ同時に消えていく。
自己は「私」という想いが絶対にない
ところにあるものである。
それは「沈黙」と呼ばれている。自己そのものが
世界であり、自己そのものが「私」であり、
自己そのものが「神」である。
すべてはシヴァであり、自己である。
再生大和 霞の中にて活動する
17・すべては神のなせるわざではないのでしょうか?
欲望も決意も努力もなしに太陽は昇る。
太陽に照らされて日長石は火を発し、
蓮の花は開き、水分は蒸発していく。
人々はおのおのそのなすべき仕事を
し終わったのちに休む。磁力が存在することに
よって磁石の針が動くように、個々人が三つの
(宇宙的)機能や五つの聖務に支配され、
それぞれのカルマに従って行為し、そののちに休む
ことができるのは、すべてただ神が存在するという
美徳によるものである。
神は意志を持たず、いかなるカルマも神に力を
及ぼすことはできない。
それは、世間の行為が太陽に影響力を持たないのと
同じであり、すべてに浸透しているエーテルという
実体に、他の四要素が損得勘定を及ぼすことが
できないのと同じである。
18・帰依者の中では、どのような人が最上でしょうか?
自分自身を神である自己にゆだねきった者が、
最もすぐれた帰依者である。
自分自身を神にゆだねるとは、自己という想いの
他にはいかなる想いが起こることも許さず、
ひたすら自己の内にとどまっていることである。
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20・神および師は、真の解脱をもたらす
ことはできないのでしょうか?
神および師は、ただ解脱への道を示すだけだろう。
神やグルは、自分で弟子を解脱の境地へ
連れてゆきはしない。
神とグルが別のものではないということは
真実である。
虎の顎にくわえられた獲物に逃れるすべが
ないように、グルの慈愛深い目の内に
入った者は、グルによって救われ、
見棄てられることはないだろう。
けれどもひとりひとりは、神あるいはグルに
よって示された道を自分自身の努力で追究し、
やがて解脱を得ねばならない。
人はただ自分自身の知識の目によってのみ、
自分自身を知ることができる。
他者の目によってではない。
ラーマ神がラーマ神であることを知るために、
鏡の助けを借りる必要があるだろうか。
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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月12日の記事を紹介します。
「真実が明かされる時」
もう数千年も、ある意図を持って隠されてきた真実があります。
そして同じく数千年の時を掛けて、その秘密を明かし、人々を幸せにしようという勢力による 努力もなされてきました。
そして、沢山の人々の努力により、その隠された真実が今解かれようとしています。