神の使者から奇跡の道へ その112~世界はどのように終わるのか

「世界はどのように終わるのか」

始まってもいないのに、真の終わりはあり得ませんね。

世界は、それが始まったときと同じく、
幻想の中で終わるのでしょうか。
ですが、その結末は慈悲という幻想のようです。
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ただ一つのものを拝せよとは

神の使者から奇跡の道へを突き動かされるままに
書き続けています。

ここにきてさまざまな感想が届いています。
「アメージングジャーニー」は奇跡の意味を
告げています。
そして誰もが神の使者になれることも。
「赦し」が大きなカギであることも。
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天音天画 201201

EPSON MFP image
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かざはな まひて かみわたし かぜは にしかぜ

いづもに まひり えんむすび あめつち むすひ

ひとむすび ひとつと なりて みたま つくり

くにつくり れいわの がんねん ひとは ひとなり

たついち しりて てんめひを しる しるさるる
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神の使者から奇跡の道へ その119~神の平安とは何か

「神の平安とは何か」

神の平安は、まず、一つのことによって
認識されるようです。

それは、これまでのすべての体験とは
あらゆる点において全く違うと認識されますね。

「それ以前に起ったことは何一つ、心に喚起されることはない。
過去はただ消え去り、その代わりに永遠の静けさがある」

怒りのあるところには、神の平安は決して
訪れませんね。
ですから赦しこそが、神の平安をみつけるための
必要条件でしょうか。
そんなのいらない人は、それはそれでいいでしょうね。

もしひとたび神の平安が見出されたなら、そのことは
いったいどのようにして保持されるのでしょう。

生命に対する対極はありません。

それは神そのものだからですね。

再び怒りが重たい垂れ幕を下ろすことは
おそらく何度でもありますね。

その時、あなたは、
「神の創造した一切に終わりはなく、神が創造しなかった
ものは実在しないということを理解し、
世界のすべてを赦しさえすればいい」

太陽や星々を超え、あなたが思い浮かべることのできる
全ての想念をも超える全宇宙が、あなたに属しています。
信じられなでしょうけれど。

そして神の意志はひとつであり、存在するすべてですね。

神の平安とは、神の意志にはまったく対極がないという
単純な理解であり、それ以上のものではありません。

「神の平安とは何か」

神の使者から奇跡の道へ その120~癒しにおける、言葉の役割は何か

「癒しにおける、言葉の役割は何か」

厳密には、言葉は癒しにおいてまったく何の役割も果たさない。

言葉というものは、分離した心が自らを
分離の幻想の中にとどめておくために
作り出したものだからですね。

衷心(こころ)の祈りは実際には具象的な
ものごとを求めているわけではないようです。
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