時は流れて  020830

朝通勤の車中で信号待ちをしていた。

目の前の太平通り(国道)の端を左側通行であるく
ひとりの中年女性が目に入った。
車道を歩いているのだ。

白いブラウスに黄色いスカート姿。
うつろな表情で黙々とそしてふらふらと歩いている。

ものすごいスピードで女性のヨコを通過する車の群れ。
彼女にとって法律も恥じらいもそして生きる目的も
何も意味をなさないかのよう。

それでも活かす力は車道の一番端を歩かせている。
胸が一杯になった。

彼女に何があったのだろうか。
今を捨てたいわけは何なのだろう。

何故そのシーンを自分は見たのだろうか。
行き過ぎればあったか、なかったかのようなこと。

それでも想いだすもっと以前の過去のシーンは過酷なもの。
自分に関わることだったらあまりにも重大なことなのに。
彼女の家庭はどんなだろう。

どんな想いで家族は暮らしているのだろう。
替わってくださっているあなたよ、どうぞいのちを生きてください。
祈らずにはいられない。

時は流れて、

今の幸いを大きく受け止めた朝でした。

随想 伊路波村から126~ディープインパクト

ディープインパクト

「いっぺん寝て、そのころ起きるから」
といって8時ごろ寝入った昨夜。


隣室の「ディープインパクトが・・・・・」
というテレビ音に始まるのかと飛び起きた。


隣室では家内がめずらしくNHKのドキュメント
を見ていた。


無敗のまま三冠馬となったディープインパクトの
ドキュメントだった。
この番組が終わったあとNHKはフランスの
凱旋門賞をライブ中継することになっていた。


それで早寝してその時間に起きようと思ったのだ。
フランスのロンシャン競馬場。
なつかしさに心が躍る。


土木の仕事を辞して、名古屋での建築関連の
今の仕事に変わる、変わり目の時、ヨーロッパを
旅した。長男が生まれたばっかりだった。


学生時代から大好きだった競馬。
開催のない競馬場を見ることだけでも
嬉しかった。


パリでの旅行中の自由日、一人でロンシャン競馬場に
行って、午後から終了までいた。


馬券の買い方もわからない。
なんせフランス人は英語を話さない。
もっともこちらもできないけれど、
読むことくらいはすこしはできるのに、
フランス語ばかりなのだ。


それで幾度か馬券を購入して、
自分のえらんだ馬が優勝したりしたのに、
よくわからないまま帰ってしまった。
それでもよかった。
パドックでは盛装した紳士や貴婦人が
木の下に集っていた。
なんとも優雅な風景。


なんだかその頃ゲートがなかったような気さえしている。
ただ係りの人がヒモでスタートラインを
作ってヒモを離してスタートだったような。
ハッキリしない記憶。


直線をただ走るだけのレースもあったような。
いよいよ凱旋門賞が始まる。
八頭立て、
ディープインパクトの馬番は1番
で枠番は2番、これでわかった、
さっぱりフランスの競馬がわからなかったわけ。


馬番と枠番が日本と異なってまったく関係ないのだ。
32年前の疑問が解けた。


またそのことをその間知ろうともしなっかった自分が
おかしくなった。


レースが始まった。
武豊騎手はほんとにうまく乗っている。
父親である武邦騎手とそっくりの乗り方。
直線、日本からの応援もきっと届いたろうけれど、
ディープをマークした2頭に差されて3着だった。


武豊騎手はさすがに悔しかったのか、
インタビューアーの質問にまともに答えれない。


調教師の池江さんはディープインパクトの
国際レース再挑戦をテレビカメラの前で誓った。
なつかしいロンシャン競馬場が一時間
ずっと画面にあった。


私は、家内よりも生まれたての長男にもの凄く会いたくなった

あの20代後半のヨーロッパへの旅を思い出していた。

随想 伊路波村から127~社員さん旅立つ

連休明けの7日、社員さんのお父さんから
電話があった。

「あの・・・Tが4日の朝急に亡くなりまして、
6日に密葬を済ませました。」
あまりのことに絶句。

「もうお医者さんもびっくりするくらいだったんです。」
80歳を超えてみえるだろうお父さんが、
気丈に話す。

「何にもできなくて、ほんとにすみません・・・。
お父さんお母さんもだいじになすってください・・・。」
電話口のむこうで嗚咽が漏れた。

1ヶ月を過ぎる入院。
だけれどまさかこんなにはかなく逝ってしまわれるなんて。
ほんとに一体どうなっているんだろう。

彼は独身、56歳に今年の11月になるところだった。
楽しいことも少なかっただろうに。

15年間病弱で定期的に幾度か入退院を
繰り返していたけれど、とてもまじめで、
毎月のお給料日の日報には必ず、

「厳しい時代ですが、今月もお給料をいただけました。
ありがとうございます。」
と必ず書いてみえた。

特殊な性格の故か、社員さんにあんまり好かれて
いたわけではないけれど、黙々と偽りなく、効率的に
働く人でした。

あなた様によって多くの人が学びをいただきました。
私は社員さんが現役で亡くなるという経験を持ちました。
大きな体験です。

どうぞもうしっかりしなくていいですよ。

ゆっくりお休みください。

そんな風にお伝えします。

なくなる少し前に撮らせていただいた
ケイタイの写真。
すこしでも、よくなりますように、元気にまた
仕事に出てこられますように、
お祈りに持って行こうと思った写真が、
胸のポケットにまだあったのです。

随想 伊路波村から128~たまに


おととい、ひさしぶりに飲み会に参加。


経営者のみなさんのお話を聴いて、
たまには現実もいいなあと思う。(笑)


こちらから出る言葉も確認できた。
ちょっと気になる男性がいて、
だいたい一月に一度お話を聴きに出かける。
この前は3人で聞くところが、
一人が急にこられなくなって、
二人で聞いた。


あとで大須へ行って、お食事した。
お目当ての「健福」さんが、27日まで
お休みで、万松寺通りを西へ抜けた。
何年ぶりかのこと。


若者と外国の人たちが目に付いた。
また次のお目当てのところ「御幸亭」さんが
まだ開店前。
それで「キッチン ニュートーキョー」へ。


お食事をご一緒していただいた方は
もう9年ほど前にあって以来の知人だけれど、
二人だけでのお食事は始めて。


子どもさんは、おなかの中にみえるころから
知っている。(笑)
やっぱり二人だけでの話しや時間は
貴重だと気づかせていただく。
不思議な方と思っていたけれど、
やっぱり見ている・・・人だった。

この方はハープで一世風靡したKさん。


ケイタイが鳴って、兄が名古屋駅に到着するので、
大須でお別れした。


これから以後、ともに学べることは幸いと感じた。


その後名古屋駅で兄と会った。
「楽天」さんで二度目の夕食。(笑)
二年ぶりだろうか。
今年で66歳。


「あいさつ回りだけで半年かかるわ。」と笑う。
それから自分の働いている今度の職場の
優秀性を難しい言葉で続ける。


久々に兄貴らしさに触れる。
幼いとき、ともに言い知れぬ苦労をした二人だ。


父親代わりの兄貴の背中は丸く、
大変な思いをたくさんしょって・・・と、
後姿を見送る。


ありがとうお兄ちゃん。


たまに・・・の多かった一日。


たまにが、いいようです。

 

 

彼は11年後の2019年1月に旅立っている。

随想 伊路波村から129~みんな聞いている

「お世話になったから、
もうそのお礼ということで、
いいじゃないですか。」

少しもケイタイにでないという
お客さまへの対応を社員さんと
お話した。

すこし残った代金のことだ。
そんな話を取り交わしたあと、
彼はふたたび電話した。

そしたらケイタイに出られたお客さま。
2ヶ月ぶりだそうだ、出られたのは。

「あんな話をまるで聴いてみえたようですね。
境目がないですね、いのちって。」と声かけ。

そしたらその社員さん。
「実はこんな話があるんです。」と口をきった。

彼の友人のお話。
その友人は引っ越すからと、
古くからあった室内の「ゴムの木」を
もうほかそうと家族と話し合っていた。

そしたらその「ゴムの木」にみるみる元気が
なくなって、枯れそうになった。
これは大変ということで、鉢を大きくしたり、
好物のビールやミルクをあげたり
したら元気になった。

そんなことがあって「ちゃんとおまえも連れていくよ。」
って宣言したら、もうそのまま元気だったそうな。

「そうですよね、だから植物も机も
あらゆるものって繋がってますね。
そしてみんな聞いているから、
なるだけいい言葉を使いたいものですね。」
そんな今朝の会話だった。

自戒も込めていた。(笑)

随想 伊路波村から130~もし・・・

もし自分の娘だったら
どうするのだろうか。

沖縄でのお話。
もし韓国での出来事だったら
とっくにアメリカ大使館は焼け落ちている事だろう。

難題がいっぱいの ヤマト。
南大門の比ではない。(笑)

もし植林がなかったら
どうだろう 海はオゾンでいっぱい。?
山の川に氾濫はナシ。

私たちの 洗剤が 私たちの便利が
海を汚し 私達の頭の上から 酸性雨になって
教えてくださる。

たくさんの快適が 地球の悲鳴を聞くことができないように
しています。   やめられない・・・。

空気 水 動物達や気象の異常。
望んだとうりの世の中がきているのだけれど。
驚いては なんていう世の中だろうとつぶやく。

大地は次々に強くなった 農薬さんに
弱められてしまった。

食べ物は 薬品に同じ。
もたせることは 薬のような食べ物を
もたせることに同じ。

空気は汚れ 鳥は狂い 人間をも
狂わせる。

もう止めるときが 近づいたのだろうか。
闘わず 無償のすべてを 受ける人類。
それだけの準備が 整いつつある。
生きていてよかったと 思えるとき。
あなたも わたしも 縁ある人も。
みんな今 生かされて あるだけで
それだけで 感謝するときが来ている。

今日も。

七宝つなぎ

七宝つなぎのように
輪がつながる。

つながった輪は増えたり
減ったりしながら
いつも異なる輪を作る

そのようないくつもの輪のグループが
無数に増えていく

組織を作れば 崩れていく

輪はいつも 可変状態

次世代の新しい世の イメージ

随想 伊路波村から~憂きことのなおこの上に積もれかし–041118

昔の話ですが

例の熊沢番山が 番山の師 中江藤樹の話を
聴きに 片道8時間かかる山道を通いました。

そして毎日、1時間の講義を垣根越しに聴いていました。
塾のお金を払うことができなかったのです。

ある日、藤樹は垣根にいる番山を呼びます。
そしてたずねます。

「君はどこから来ているのかね?」
「山をこしたところです。」

「どれくらいの時間がかかるの?」
「片道8時間です。」

「そこでどなたと暮らしているのか。」
「母上とです。」

「そうか ではここに移り住みなさい。
丁度納屋があいているから、そこで
母上といっしょに暮らせばよい。」

しかし番山はこのやさしい申し出を断ります。

「せっかくですが、先生のお話を8時間かけて
聴きにまいっているからこそ、先生のお言葉のひとつも
聞き逃すまいと、真剣になれるのです。」

さすがの番山。藤樹先生はこのとき番山の
資質を見抜いたのです。

番山が読んだ有名なうたがあります。

「憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の 力試さん」

このお話はずっとわたくしのこころの 中に
住みつづけています。

随想 伊路波村から~高野山の秋 ~出逢い・縁~ 041111

平成13年11月6日夜、
愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。
それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。

新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。
その場に立ち会うためだった。

「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、
ありがとう実験を思いついた。

小林正観さんの著書「幸せの宇宙構造」のなかにあったのだ。
「ありがとうを無感情に言っていても、1万回位言ったところで、
涙が出てくる。

その後、心から感謝のうちにありがとうが言えるようになる。」
いっそ、「ありがとう」より「ありがとうございます」でいこうかと決めた。
1分間で約50回言える。幸い人も聞いていない。チャンスだ。

豊橋にむかう車中で、1時間半。
そして高野山への道中で3時間半。
合計5時間「ありがとうございます」を唱えてみた。

後で計算してみたら、丁度1万回位のところで(約3時間半)眼から涙がにじんできた。
そして何もかもに感謝の気持ちで言えるようになった。

名阪道を数珠つなぎで走るトラックの運転手さん、
道路、樹々、山、そして風。月。つぎつぎに御縁ある人々の顔が浮かぶ。
人生の数々の出逢いの人びとが。

橋本市を過ぎ、運転手をも酔わせる20km程のグネグネの山道。
高野山にむけて、歩いたであろう、多くの人びとの想いがかぶさる。

敵も味方もなく、長い時間を人びとは高野にむけて歩いた。
恐ろしいほどの静寂が山中に横たわる。行き交う車も皆無。
戦国の武将たちや歴史上の英雄が死んだら
高野山へ葬ってくれと願ったその高野山。

弘法大師が開いたこの地に生かされた時間の
すべての想いを捨てて,敵、味方を越えてここに眠る人びと。
日本人って何だろうと不思議な国民性を想う。

走り続け、唱え続けて、7日午前3時20分。

浪切不動尊(空海が唐より持ち帰った仏像)を安置する南院前に到着。
不思議に疲れも眠気も感じない自分を知った。
素晴らしい体験だった。

午前6時、護摩焚きが始まる。きれいな炎が、
そして太鼓の音が参加者の眼と心に語りかける。

挙式は、Kさんの師匠M氏の仲立ちで行われた。
4畳半の小さな仏堂の中で、お二人は結婚の誓いを立てられた。
「お二人の行く末に幸いあれ」と念じていた。

高野山奥院を仏僧であるKさんが案内してくださった。
奥院の正面に向かって一番近いところ左側が天皇家ゆかりの御廟。

そして右側が近衛家の墓。その後方に、
何と元首相の池田勇人さんのお墓があった。

Kさんは言った。「池田さんは、大師信仰の深いお方だった。
病に冒されたとき、四国霊場八十八ヵ所を逆打ち(逆に巡ること)して、
病が治った。
そしてその後、常に数珠を
身につけながら仕事をし、首相にもなられたのです。」

昼の食事会の時刻となった。
料亭「花菱」の料理はとてもおいしかった。

またそして何より、集った御縁の人々の会話は天国の会食のようだった。
Kさんの師匠M氏は、来年より高野山の慣習によって
「身代大師」(弘法大師の身代り)を1年間お努めになる予定だとか。

M氏の書庫は、図書館のようだった。少し開いた扉から、
「小林秀雄全集」が微笑んでいた。

そんなM氏にたずねてみた。「今までで一番感じた方は誰ですか?」
M氏は、「それは、岡本太郎さんです。」と答えて、
「どこが感じたのですか?」の問いに、
「著者の紹介文を少し著書に書いてくださったので、
後日御礼を申し上げたら、ポカンとしていたからです。」(?)

こんなM氏はすべての話題を肩のこらないジョークでかわしながら、
雑談の中で多くの教えを下さった。

素晴らしい御庭と御堂。宿泊室。
そして密やかなおもてなしの心を感じさせる南院。

この日お祝いの気持ちからか、参加者の宿泊費一切を無料にされた
南院御住職Uさまの「慈」のこころに感じ。

新婦Nさんのご両親がすでにこの世にみえないことを案じ、
健在のご自分のご両親を式に呼ばなかったKさんの「悲」のやさしい想いを感じ。

「良かったね」「良かったね」を連発する参加者のYさんやIさんの「喜」の共感に歓び。

あるままに謙虚に今を生きる「捨」の「身代大師」M氏に学んだ一日であった。

「慈悲喜捨」Kさん、Nさんおめでとう。そして、ありがとうございます。

高野は歓びに満ちていた。

テネモスミーティング名古屋 1/25 その1

Yさん(男性):ユーチューブ好きです。クラリオン星の小三そうた君。
地球は四回目。実体験のお話で、目からうろこ。
宇宙人は全体の60%で地球人は40%。ユーチューブに出てから
リーディングの予約が700人となった。三重の子供。
地球での体験をするためにに来た。
感情レベルが11000/10000が地球の特徴。
学校では話さない。興味ある人は見てください。
有用に思う。

魂で話すので、交信している。
死ぬってリセット。
大半は生まれ変わり。神になる人もいる。
クラリオンが3 地球が3の割合で星に住んでいる。
総理大臣になるために活動している。
クラリオンでの8時間は地球の100年。

Oさん(男性):「美しき緑の星」という映画を見た。
どこかの星から来ている人の話。
出身が異なるので考え方が異なる。

Mさん(女性):イブに息子のためにクリスマス会。三連休の24日に
息子が発熱。次に娘がインフルに。呼びかけてもボーっとしているので、
インフル脳症の心配。年末から正月にかけて入院。

検査から付き添い、娘とずっと二人きりの時間。自身もインフル。
最初、相部屋。同室のマオちゃんが元気で、怖い怖いと叫ぶ。

お見舞いが多い。お母さんは妊娠7か月。マオちゃんはお母さんと
初めて離れてつらい。そのストレスでだれが来ても怖い、怖いの連発。

マオちゃんの状態が来る人によって変わる。父親のお母さんに
だけは「怖いんだね。。。」って言われておとなしくなった。
受けてもらえることで静かに。
現象は人の心を映すことの革新。

お父さんが年末年始より見守りが大変でボヤク。
目が離せない。
父の母に代わって落ち着いた。
同室で眠れない。
おばさんの時は静かで眠れた。
父が、母親がトイレに行ったので怒る。
父の母が落ち着いているので、父も落ち着いてきた。
マオちゃんの反応は人によって異なることが
わかってきた。

娘と息子の看病で、眠ったときに思い出したことがある。
16~7歳の女の子と弟が砂に埋もれて死んでいる。
自分の子供で死んでいる。
決意が生まれた。
戦いで死んだが、文明、民族のために出なく、
「地球を守るために生きたい」
そのことを思い出した。

とんだお正月。
初日の出が病室から見られてうれしかった。

伊路波いちばでテネモスのお仕事を手伝っている。
伝票が苦手。発送は幸せ。

          続く・・・