山車の若衆

町内の祭りが 土曜日
そして名古屋まつりの山車巡行が日曜日にあった。
土曜日は 午前中に町内を 山車が練り歩き
午後も同じ。そして夜には 提灯に灯が入り
夜祭に 神明社という神社に3台の
山車が終結する。
日曜日は 朝の7時から 午後1時の山車庫への
帰還までの時間をほとんど 歩き続ける。
名古屋まつり行列のトップを飾る
山車巡行がその行事。
そして帰ってから 山車やからくり人形の
片付けがあって お開きの食事会で解散する。
山車を二日間担いだ 若い人がつぶやいた。
「名古屋まつりは 戻ってからがっくりするね。
地元の祭りは そんなことなくて 快い疲労感なのに。」
ただ歩いて 多くの観衆の見世物のように
なるだけの 名古屋まつりと
地元を練り歩き 一年のご無沙汰を町の
さまざまな人々と わかちあう地まつりの
差が そう感じさせるのだろうか。
みんなが どんな役も替われないで
さまざまに 役割分担をするおまつり。
それぞれに 讃えあい 敬いあって
まつりは終了する。
何の見返りもなく ただの集いの喜びと
文化の継承の誇りだけが残されるだけなのに。
人々は 毎年集い 毎年別れてゆく。
今年のその秋も 終わった。

ショコラ ありがとう 平成20年10月14日逝く

shokora.jpg
14日夕方家に戻ると 家内とマミちゃんが ウサギの
ショコラのことで うろうろしている。
病院に緊急で行こうと 連絡をとったり
腕の中にショコラを抱えて 心配そう。
ショコラは口をパクパクし始めていた。
もうそんなに生が長くないサインだ。
みんながそろって ショコラに
ありがとうを言うと ショコラは
そのときちょうど旅立った。
30分間くらいのできごとだった。
10歳だから人間の100歳 大往生です。
7-8センチの右耳をかじられた
青色の人形ウサギを 急ごしらえの棺においた。
4年前先に旅立った 兄弟ウサギの左耳がかじられたモナカと一緒に
旅立つようにと祈った。
悲しいから ペットはイヤだと思いながらも
ショコラの晩年の食事のお世話や
夜 ゴソゴソとうるさいから 移動するお仕事は
こちらにお鉢が廻ってきていた。
だからやっぱり家族。
逝ってしまうと 悲しくて 恥ずかしいけど泣いてしまった。
みんなが泣いていた。
息を引き取る直前 そのときが離れていてもわかった。
霊が抜けても 死後硬直がとても遅く
いつまでも身体が柔らかい。
ほんとに幸せだったと思う。
ほんとにみんなに可愛がられたから。
人間は動物には戻らないことや
可愛がった動物が 自分の死のときに
お迎えに来てくれることや
動物から人間になるには 気の遠くなるような進化のための時間が
必要だってことを聞いていた。
でも 家族と同じだ。
また 会えるね ショコラ。

希望

痴呆は 希望がないこと。
うつは エネルギー不足。?
これも希望がない。
日本全体 うつ。?
希望なし。?
世界の先進国のほとんどの方たちが・・・。
さて 光あれ!
素晴らしい世が・・・。

なかなか

「情報革命とエネルギー革命は コインの裏表だ。」
連山 なかなか言います。
「それから 何を持っているか どれだけ持っているかより
誰と繋がっているか どんな情報のネットと繋がっているかが
大切になる。」 これも。

このごろ

このごろ 将来への大きな不安からか
とても人間とは思えない言動や
行動をとる人々が多いみたいです。
そんな人々でも もとは繋がっていて
ひとつだって 思わせてはいただくのですが
あまりのことに ただ祈ることぐらいしかできません。
台風や大雨は 大変なことですが なんだか
物凄く強力なものたちを しずかに おさえてくれているような
気さえします。
私たちの 想いが生み出す強力なエネルギー場に
よって 現象として現れる現実の世界は
ただただ 己をすてて お人のために祈れるかを
試されているようにも感じさせていただいてます。
ありがとうございます。

38年前 土木の作業員だった私は
高速道路を建設の第一歩として
まず山に道路の中心線引きのために 20メートルおきに
杭を打つ作業をいたしました。
測量器具と9センチメートル角で先のとがった
木杭と かけや(くい打ちの道具)と測量器具をもって
山の木や草を刈りながら 進んでいきます。
そしてその後 その中心杭が壊れても 復元できるように
高速道路の用地からはずれた場所に ほぼ十字の位置に
4本の杭を打って完了します。
この杭は逃げ杭と呼びます。(どちらでもいいですね・・笑)
それからまず山にある大きな木をチェンソーなどで
切り倒します。
その後ブルドーザーが入り
山の表面を 皮をはぐように根こそぎめくるのです。
(伐開 伐根といいます)
そのとき なんともいわれぬ悲しさを覚えました。
いつも ごめんね ごめんねとこころでは言っていました。
高速道路は 便利ですがその線は 文化圏を
右と左に分けてしまうような影響力をもつようです。
文化を裂き 自然を破壊する仕事は
自分には向かないと その頃漠然と思っていました。
思っていた通りに なってしまいました。(笑)
今年の3月 隣の家屋に住んでみえた方が
家と土地を手離されました。
ミニバブルの最後でよかったなと感じました。
新しい持ち主の不動産屋さんから 通知がありました。
「9月には10階建てのマンションの建設を開始いたします。」
といった文面でした。
更地になって 久々都会に大きな面積の土が
現れました。
夏が近づくとともに 草々や花や なんででしょうか
トマトや かぼちゃのような植物が根付きました。
雑草を根こそぎは また心が痛いので
草刈を手でしました。
花や 食べ物はもちろん 残しです。
途中大きく裂いたひまわりが 夜中に
どなたかの心によって 透明のビニールかさで
みんな倒されてしまいました。
なんだか切なかったです。
草々は栄養を求めて 上へ横へと自在に奔放に
物凄いスピードで伸びます。
草刈がなんだかとても 楽しみで 汗びっしょりになるのですが
身体が軽くなるし 後のビールは最高ですので
楽しみにさえなりました。
6月には 管理地ダレソレの 大きな看板が
建ったので バブル崩壊の影響で ビル建設は
頓挫とさとりました。
それから日にちが経って 土地はこの9月から
100円パーキングに生まれ変わることになりました。
となりのコーヒー屋さんが 願っていた通りに
なりました。(笑)
都会から地面が再び消えて 植物さんとの
対話がなくなりました。
地を這うようにして ゴメンネごめんねと言いながら
草を刈った何日かが 遠い日になりました。

造化の神霊

大自然の中に行って しばらくの時間をすごすと
身体がかるいし こころもさわやかです。
山に登っても 出る汗はにおわず さわやかです。
そして 疲れも なんとはなく軽いもの。
大きな木や 大きな岩 そして山々 草々
花々 などがただあるだけで あたたかく包んで
癒してくれるかんじ。
それらは 永久に人間になることなく それでも
人間よりはるかに 精妙な神霊である
「造化の神」と聞きました。
なるほどと思いました。

ときめきのワケ

お人との 出会いのときの あのときめきは
なんだったんだろう。
あの講演を 待ち焦がれた 数日間の
ものすごい ときめきは なんだったんだろう。
人間との出会いは その後のご縁が ワケを
明かしてくれる。
でも 集いや 行動のきっかけをくれたお話のワケが
十数年も過ぎてから わかってくるなんて。
それからさらに あの人の あの一言が
今頃 理解できるなんて。
時間の中に 空間の中に すべてがたたまれて・・・。
今。
今年の というより 今回の人類スタッフの
正念場を迎えようとしているかのように感じる。
すべて ありがたく 受けようと思っています。