いのちの実相 19

娘は臨終の少し前めずらしく、絶対口にしない言葉
「お母さん、ありがとね・・・・・」を口にし
それを受けた家内は、娘の生命誕生の責任をずっと背負ってきた重荷を
やっと降ろすことができたようでした。
生前の娘との会話
「あのね、人間は肉体だと思ってるだろうけど、ほんとうは
人間は肉体ではなくて、いのちなんだよ。人間は死ぬことがないので、
いのちは永遠にあるんだよ。だから人間は生まれることもないんだけど。」

「お父さん、いつも訳のわからんことばっか言う。
でも人間はいのちだってことはなんとなくわかるよ。」

「だからね、もしね、肉体が終わることになった時には
必ずそのことを誰でも知ることになるので、そうなったら
何かお父さんにサインを出してね。約束ね。」
指切りしました。
二人だけの秘密の約束でした。
「私はあなた」「一体全体」「元ひとつ」このような言葉が
私たちが肉体と思って、全体から分離する心を否定し、
いのちはひとつしかないことを教えています。
そのことをいつもいつも念じ、すれ違う人々にも
自分の心を見るとき、みんなが教えてくれていることを
知ります。
娘は私そのものでした。
穏やかなる時も、怒れるときも、自分よがりなときも
全体を思いやるときも、厳しいときも、やさしい時も
いかなる時も、その姿は私を教えていました。
息を引き取り、その夜は葬儀社の方が駆けつけてくださって、
ドライアイスを二日分といって、多めに体につけてくださいました。
亡くなったその夜の娘の顔は、なんだかきょとんとした
驚いたような顔に見えました。
明けて翌朝娘の顔に大きな変化がありました。
もうその時点で娘は大平安に包まれて喜悦の世界に戻っていました。
私は娘にありがとうと言いました。
その喜悦の表情が娘との約束の答えだと受け取りました。
そしてもう一つ娘は時の不思議を伝えていました。


3人娘の一番の末の娘が、初産のため丁度、里帰りをしていました。
そんな時に長女の葬儀があったのですが、長女が亡くなった日に
産気づき、翌日入院となりました。朝真っ赤に腫れた目に悲しみが焼きついていました。
ご主人が東京から駆けつけ、ずっと末娘と一緒にいてくれました。
娘の葬儀が終わった21日の夕刻、家族で葬儀の帰りに病院に
立ち寄りました。末娘はヒーヒーとは言いますが
「先生が今日は生まれないと言ってるの。明日促進剤で生むみたい。」
そんなことでみんなで家に帰りましたが私だけは何故だか
「今日の夜生まれるよ。」と笑って言いました。
そして家に戻った夜、ご主人から連絡が入りました。
「生まれました。!!」
初孫の男子、嶺(れい)君が午後10時03分に誕生したのです。
娘は時の不思議を告げ、そしていのちは一つであることを
私たちに残してくれたと思います。
死ななければ普通は分からないことです。
そしてそのことは死後伝えることもできないし、普通はこの幻想世界に
戻ることもできません。
娘のこの世での旅に並走するように、家族のそれぞれの旅が続きます。
他の人の旅は語ることもできず、また語っても何の意味もないのです。
それらはすべて自分の旅だからです。
娘に対して全力投球してきた私の日常は、ポッカリした空洞に
入ったかのように平穏になりました。
平成25年10月から続けていた「奇跡の道」の自己学習が
長い間の疑問に対する答えをもたらすとは思いもよりませんでした。
それは理論や説明をはるかに超えたところにあったのです。