あらゆる体験の効果発現までの時間~その1 水と空気

自分でする幸福への道は様々です。
人は信じることをやってみる。
そしてその体験からつかんだことを
まわりのご縁の方に伝える。
それが社会の幸福へとつながれば嬉しいことですね。

なんでも話だけでなくとりあえず自分で
やってみること。
それが確信への道ですね。

方法はともかく、初めにとりあえず現在という時に
何の心配もなくいつも心からの喜びに輝いている方は
きっとその結果である肉体にも、その動きにも
何の狂いもなくいつもゼロなんでしょう。

肉体が必要としている


空気
微生物(酵素)
電界
光(太陽)
意識

食べ物
そして運動

そんなことをもう30年間近く学んできました。

そして目の前のことはみんなゼロの中庸の瞬間だと
認識しています。
偏りがもたらす肉体や精神の不調はどうしたら
いいんだろうとも感じ、さまざまな情報を試してきました。

まず水や空気は「妙」(みょう)すなわち
細かい状態であればいいのでしょう。
もちろんいろんな不純物は肉体に変化をもたらしますが
「妙」であればそれらの不純物も「ゼロ」になって、
肉体に影響は出ないことも知りました。

細かい状態であれば常に周りからエネルギーを引き込む
状態になっていて、そのエネルギーが「ゼロ」に
導いてくれますから。
汚れた洗濯物は「ゼロ」でなく偏っていますが、
普通はそれを洗剤を入れた水で洗います。
潜在は水を細かくするもので「妙」に水を
導くものです。ですからその水が「妙」であれば
洗剤はいらなくて「妙」な水のみで汚れは流されていくのです。

水や空気は細かい状態であれば常にエネルギーを
吸引して「ゼロ」にしてくれる。
水、空気という二つの重要な要素がそのことで解決されます。

空気が「妙」であれば偏った「ニオイ」も
なくなるのはそのことで納得できます。

そして水は汚れさえも「妙」であれば
無害に変換されますね。

空気と水。
老人の老臭は三年で消えました。

そして空気振動圧は有害な食品を無害に導きます。
ブクブクと水の中で野菜や缶詰や冷凍食品を
15分間するだけです。
さらに13年間保管した玄米も2昼夜のブクブクで
蘇ります。
全部実験で確かめています。

さわやかな空間は3時間もいれば人を
幸せな気持ちにさせます。
そして水は毎日のこと、飲み水も入浴も洗濯も
台所もすべては水が必要。
それが細かいのですべてにすぐに効果が出てまいります。

そして次は微生物です・・・

再録 出会った人々 1~坂田道信先生と森信三先生の三賢弟

1995年ですから28年前、初めて故坂田道信先生との
ご縁を賜りました。

幾度もチャンスがあったのにいずれの講演会も
都合が合わずにいました。
そして訪れたその日。
坂田先生は講演の演題の上に正座されます。
それだけでもドット来ます。

開口一番
「人生とは心をきれいにすることです!」と
ものすごく甲高い、魂から絞り出すようなお声で
聞く者に語りかけます。

それだけで聴衆は涙するのです。
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幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その3

まあちゃんの大冒険が終わってその後幾度かは
田舎を訪問します。

その後何年も訪問できない時期が続いたある日のこと。

まあちゃんは29歳になっていて、新しく会社を興したばかり。
会社に兄から電話。
「羽根のおばあちゃんがどうもダメかも」

その翌日すぐに田舎へ車で出かけます。

怖いおばあちゃんは自宅のお部屋で横になっていました。
もうそんなに長くはないことを知りました。
おばあちゃんは自分を見て「まぼか」と短くひとこと。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その3” の続きを読む

幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その2

両親と兄姉の4人はこの青山町羽根の森本家の
実家に疎開しました。

疎開先には住む家はなく一家は小さな川の河川敷にある
農機具小屋で暮らすことになります。

その農機具小屋で戦後3年の年の昭和23年に
まあちゃんは生れ落ちました。

今はその小屋はありません。

さて旅の二日目です。

いよいよ森本家の本家訪問です。
まあちゃんの顔見せ。

本家は小さな川の右岸にあります。
森本家です。

ちいさな訪問者は大歓迎されます。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その2” の続きを読む

幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その1

令和4年ですから二年前。
深いご縁の肉親の全てが肉体を脱ぎました。

最後は関東立川に住まいする当時71歳の妹。
両親、兄弟姉妹の5人はすべて他界しています。
一番長く生かされたのが兄の76歳。

その同じ年齢に今年令和6年になる自分です。

この頃、幼い頃のいろんなことが思い出として
蘇ってまいります。

小学三年生になった夏休みに森本家(今は養子で山田です)の
実家がある三重県名賀郡青山町羽根で一か月を過ごす予定の
旅が与えられました。

「まあちゃんいいか、近鉄に乗って中川という駅で
乗り換えて、阿呆(あお)で降りるんだよ。
降りたらおじさんが待っててくれるから」

そう母に言われて家を出ます。
すべて母が新調してくださったいでたちでです。

真っ白なズック靴。
茶色の半ズボン。
そしてシャツは黄色の赤銅鈴之助のたくさんのひと模様の
ほこらしい姿でさっそうと出かけます。

赤銅鈴之助はその頃流行っていた剣士の漫画です。
母は父の実家にみすぼらしい子どものすがたを
見せたくはなかったんでしょう。
随分無理したと思います。 “幼い頃の思い出 小学三年生まあちゃんの一人旅 その1” の続きを読む

小関さんのこと・・

小関さんは五組ある御町内で同じ組の方です。

その小関さんが令和6年7月10日の中日新聞の
朝刊に出てみえてビックリ!!。

実は小関さんのご職業は名古屋で一番古い
「相撲茶屋」さんなんです。

小関さんは同じくご町内が保存している名古屋市指定文化財の
「唐子車」という山車の保存会の会計さんを50年もしていただいている
厚志者でもあります。
それも先代様もしていただいて会計二代目。

相撲なんですが「大関」でなくて「小関」さんというのが
ちょっと面白いですね。

小関さんは記事にあるように現在82歳。
とても温厚な方で今は息子さんと共に立派に
「相撲茶屋」を継続中。
来年から相撲の開催場所の「愛知県体育館」が北区の
新設の体育館に変わるということで、今までの思い出を
関係者の方々がかわるがわるに語るという連載記事が
10日の新聞記事でした。

会計の業務は実に迅速。
かかった経費のご請求に伺うと、直ちに奥から
お金を持参されます。超スピードです。

相撲の方は「コロナ」の時期は開催がないので
収入がなく大変ですねとお聞きしますと、

「相撲協会はこんな時のために積み立てをしていて
ある程度の補償をしてくれるので、助かります」との
お返事。

さすが相撲界と感心。

昨年の地元と名古屋まつりの時には大学生になったお孫さんが
文化を守る人々とその対象について「山車」を選択され、
一緒にインタビューしながら「山車」について回りました。

発表した卒業研究の結果は「優秀賞」。

300年にもおよぶ長い期間、文化財を継承することの
意義をこのような体験から学びました。

少ない家屋で文化財を維持する難しさを日々肌で
感じながらも、何かのお役に立てた喜びは格別です。

関係するすべての方々に感謝で一杯です。

生死のこと・・

近しく親しいお人がもう息をしなくなる。

そんなことを二つ体験。

たくさん人生を歩ませていただいて
このごろは死って何かとふと思う。

毎日眠って朝方起きる。
当たり前に何も感じない。
そして日常が始まる。

もし朝起きなかったら、
起きるということを知らない。
そして死んだということに気付かないでいるはず。

それは永遠。

生あることを自覚して、まだ死なないでいる。

もしこのように肉体を脱いでしまったら、
生きていることの意味が分かるのかもしれない。

病気は、もうこんなに苦しいので終わりにしたいと
死を願うきっかけとなる。
そうすると肉体を脱ぐこともある。

病気で人は死なない。
そして一度も生まれることもない。

三界の狂人は狂せることを知らず 四生の盲者は盲なることを識らず

生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く

死に死に死に死んで死の終わりに冥し(くらし)

            空海