小松菜の待機土壌

小松菜の春の種まきを待っている、待機土壌です。
連作となります。土は最初の光熱菌のバーク資材入りの
土壌で、光熱菌の粉肥料を表面から10センチほどに
耕して入れてあります。
草は生えていません。
きっと微生物が一杯なのでしょう。
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ところが同じ時期に同じようにして待機した土で、
ただ光熱菌で2年間培養した「畑懐」と言う土である
小松菜の上記の土ではなく、家の土を光熱菌のバーク資材
のみの肥料を施し待機したものはこんなで、草で一杯です。
やっぱり違いますね。
下の赤っぽいプランタンはミニトマトをした土です。
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いろいろ

ほぼ一周年の海老です。
1尾だけで、やせてますが生きてます。
何も食べていないようなのですが。
おがくずに埋もれて売っていた海老です。
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小松菜の部品液肥が10日間バンブーで
ほぼ臭いがなくなっていよいよ春まきの
土に投与します。
緑が消えて茶色くなって光ってきました。
部品液肥小松菜.jpg

小松菜とうが立って、次の準備へ

とうが立って3日でこんなに急に大きくなりました。
子孫を残そうとする自然の現象はものすごいです。
小松菜とうが立つ.jpg
ほんとうは1年間は楽しめるはずの小松菜ですが、
今回は6ヶ月でした。
春まきで夏を越せるかの新たなる実験の開始です。
残った小松菜を細かくしてバーミックスにかけ
濾して、およそ20倍アグアにあわせてバンブーをかけました。
小松菜部品肥料.jpg
根を抜いて、こぶしくらいの深さまで耕します。
もちろん光熱菌の肥料をパラパラして混ぜました。
水をたっぷりとかけて待機です。
小松菜部品+アグアの液肥の臭いが消えて
完全発酵したら土にたっぷりとかけて種まきの
開始です。
部品が一杯の土の微生物は虫を寄せ付けない
小松菜に成長させるのでしょうか。

水耕栽培実験~たのしい失敗編 伊路波いちばから

今回は、わたくし山田貴央が記事を担当します。

いままで植物を栽培したことがないですが、3月7日から水耕栽培やってみました。品種は、葉物でレタスです。「カミカゼ」という品種をかっこいいからです。

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なるべく小さい装置で方針を立てて、アイリスオーヤマのスチールラックを使いました。
高さ88センチ、幅48センチ、奥行き20センチのかわいいラックです。
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会社にあった電気化学工業の折版120という雨どいを使って、水たまりをつくりました。そのうえに会社にあったサニーライト(廃盤)というポリエチレン系の断熱材をつかってポットを埋めることにしました。ポットはこれまたアマゾンでけっこう大きめのスポンジとセットのものを買いました。

[かご鉢]外径:8.5cm、内径:6cm、底径:5cm、
高さ:8.5cm [スポンジ]径:6cm、高さ:3cm
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雨どいのなかの水にバンブーしようと、貝沼産業のニュータイニーバブルという
くねくねした散気管を設置しました。

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小松菜 秋撒きの最終の形 半年間

昨年の10月に撒いた種で、およそ6ヶ月間の
収穫をいただけました。
今日の様子です。
手前の緑が濃く、少しシワシワの葉は固いです。
薄緑の若葉は最初のときのように柔らかくおいしいです。
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でもこのように花が咲きましたので、秋撒きは
一旦終了します。
小松菜最終170328.jpg
小松菜を刈り取って、その一部をアグアベースで
バーミックスにかけて発酵させます。
もちろんバンブーでします。
そして表面からこぶし一つほどの深さの土を
耕して、そこにその小松菜部品肥料をたっぷりと
かけて春撒きの種に備えます。
春巻きが夏のいつ頃まで行けるのか、
今年の楽しみです。
去年は夏に虫がいっぱいでしたから。

テネモスミーティング名古屋 5月6日(土)

        テネモスミーティング 名古屋開催のご案内
ミーティングも回を重ねるごとに内容が深まってきている感じです。
現象のみに振り回されず、何を目指すのかの皆様のきっかけに
なりましたら幸いです。
今回は一般財団テネモス国際環境研究会の釘本理事長に
一時間ほどお話をいただきまして、その後みなさんからの
お話をシェアしたいと存じています。
日にち 平成29年5月6日(土)
場所  山善ビル4階 東室  名古屋市中村区名駅南一丁目10番9号
時間  午前10時から
参加費用  無料
参加のお申し込みは 山田まで

平成29年3月11日 テネモスミーティングから

3月11日は日本に住む人々にとって記憶に深く残る日です。
一年を過ぎた飯島さんの3月1日もまた深い記憶の日となりました。
そして昨年の暮れに急逝されたテネモス仲間のYさん。
すべての方々のご冥福を祈りながらミーティング冒頭に
全員で黙祷をささげました。
飯島さんはあの日(3月11日)までは、浄化や実験をしながら、
常識を疑うような結果を目で見せて伝えることを地道に続けていました。
私達も車で仲間を乗せて名古屋から幾度も通わせていただきました。
まだ現在のテネモスランドがない頃です。
敷地には風力発電機が風もないのに回っていました。
きれいな池、活き活きした野菜や花が一杯でした。
飯島さんは何時間も続けてお話されました。
水槽に漬けると動くプロペラは水は電気?と感じさせました。
岩が溶けた様子から、空気が燃焼していることを知りました。
冷蔵庫から静かに揺らさずに出した水を椅子の上の
容器に落としますと、その水が凍っていきました。
常温です。水は0度で凍るだけではないこと知りました。
70度の油に手をつけても熱くないことや、10円銅貨がぴかぴかになる
濃塩酸に手をつけてもやけどもしません。
物質は細かくバランスが取れていれば人体に害を及ぼさないことを
知りました。
そして水だけで汚れが落ちます。
前進後退が自在の墜落しない飛行機の映像も見ました。
そしてほんのわずかな電気で回り続けるモーターに魅せられました。
まず私達が幼い頃からずっと持ち続けている固定概念を
打ち破ることが第一歩と知りました。
そして細やかなまた高いバイブレーションが中庸にあるために
大切なことと知りました。
飯島さんを応援し、飯島さんのやっていることがこの国や世界にとって
大切なことと感じて、できることを実践してきました。
でもテネモスイズムが大きく広がりを見せることはありませんでした。
そんな日々に3月11日が訪れました。
飯島さんは多くの手作りのエアドリームをすぐに被災地に
たくさん送りました。すばやい行動の実践でした。
放射能への不安が見えないものへの理解を進めました。
もっとも陰性な放射線には極陽のエネルギー吸引状態にすることで
中庸に導くことができると実証しました。
物質は吸引エネルギーは放出の基本は、現象世界の原因を
明らかにしていきました。
3月11日を機に飯島さんのお話は多くの人に受け入れられるように
なってきたのです。
ミーティングの内容です。
☆長野飯田、恵那山の向こうに住んでいます。
 知花さんに縁があって清里に初めての日に参加。
 その後飯島さんに会いました。
 弁当屋を営み、朝3時から12時30分まで働き清里へ。
 午後10時に自宅に戻る生活を30年間続け、清里に通った。
 その間中央高速で3回事故、車を2台つぶした。
 不思議に体は無事。
 飯島さんの話から、知花さんの話の内容がわかるようになった。
 不安なことが解消された。
 いい悪いはないので、やりたいと思ったことはやる。
 家族の賛同は得られず一人でやっている。
 現金商売が大切。
 出したことが戻る。
 いい悪いはないということがわかった。
☆亡き夫、テネモスミーティングで病気は自分が作っていると
 悟った。意識に圧をかけることを知った。
 昨年に行きたいところに1週間連れて行ってくれた。
 その時に車のオイルをバンブーした。
 そして車内に銅アルミに電圧手作りピッコロをかけて走った。
 疲れない不思議。 
 全部終わったらオイルが少なくなっていた。
 ピッコロとバンブーか良かった。
☆二年前にテネモスに出逢い、マナウオーターを家中に
 つけたときの感動が強い。
 たった一つの法則、試すのが好き。
 だんだん絞られてきた。
 すべては意識。
 体験していては間に合わない。
 目の前がすべて、気づいたことをすぐするようになった。
☆魚の水槽の実験をして、水を替えなくてもいいということを
 知った。魚元気。人も一緒、魚、草も一緒と気づいた。
 原理は一つで同じと理解して実践中。
 すべては神と思える。完成している宇宙。
☆ユーチューブで釘本さんの話をよく聞いている。
 マナウオーター小、洗剤なしでよく汚れが落ちる。
 手荒れしないビダクリームもとてもいい。
 ドラッグストアの商品とは違う。
 水耕栽培に関心あり。
 

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