「ヌラージュ(ヌラギ)」奥之院通信 R3 7/5

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ヌラージュは通常、複数形のヌラギとして使われるので、ここではヌラギと書く。

 ヌラギは地中海のサルジニア島にある巨石建造物である。直径12・5メートル、高さ4メートルあまりの石を積み上げた塔で、複数あって、それぞれが通路で繋がっている。各ヌラージュには二つの入り口がある。そしてそれぞれが、長い通路で繋がれているが、どの通路も決して真っ直ぐではない。すべて途中で曲折している。更に、その通路は途中で枝分かれしており、幅1・2メートル、奥行き3~3・5メートルほどの4つの部屋を形成している。もちろん、各部屋には窓は一つもない。中央の部屋の上部は4メートルほどの高さまで、煙突状の穴に繋がっているが、その最上部はかつては塞がれていたという。

 推定、紀元前3000年から紀元前2000年にかけて建設されたと推定されるが、こうした建造物は”核シェルター”を思わせる。その上、これら巨石遺跡は西ヨーロッパ全体で4~5万基ある。現在、それらはメガリスと総称されているが、その一例がこのヌラギである。全て極めて巨大な石材(大きなものは100トン近くもある)によって構築されていて、これらは極めて高い、共通の技術に基づくものだと考えられる。

 エジプトのピラミッドもこの技術で建設されたと考えると納得がいく。人類はその技術を持っていたのであって、核戦争で文明が消滅したことで、その技術も消滅し、それが承継されていないだけなのではなかろうか。だから、ピラミッドは宇宙人が来て造ったとか、検証を不可能にして煙に巻き、真相解明させない。もちろん、地球外生命体が地球にやって来て造った可能性もあるが、その場合は、その技術は承継されているはずである。それとも、無数にあるヌラギ全てを宇宙人が造ったとでもいうのであろうか?

 最大の問題は、このヌラギがどういう目的を持った建造物だったのかなのである。古来、エジプトの墓だったとか、いろんな共同体のセンターだったとか、あるいはまた神秘的な拝火教の寺院だったとか、戦勝記念碑だとか、さまざまな説明がなされている。しかし、これらは紀元前3000年から同2000年頃に起きた核戦争が残した遺跡であるという説を唱える人はいない。一番可能性の高い核シェルターだったということに言及する人はいない。ということは、このヌラギというものの真相は、今も生きるタブーなのである。

 メディア、学術界を完全支配する奥の院が、このヌラギの真相については言及させない。太古の昔、この地球上で核戦争があって、一旦人類は滅んだ可能性があることは、言及してはならないことのようである。そのために、いろんな馬鹿げた、的外れの説明を並べている。
 
 過去における核シェルターには言及しない、させないと言うことは、問題が過去の問題ではなく、純粋な歴史検証の問題でもなく、現在の政治問題なのである。奥の院は再び核戦争を起こす、起こさせる意向を持っていることの証明と言えるのではないだろうか。だから彼らはいまだに核開発と、自分たちだけの核シェルターをせっせと造っている。過去における核戦争が残した遺跡がそこに存在するので、彼らはこれらを参考に、地下深くに核シェルターを造っている。しかも彼らは、当分使用しないので、その間は、子供たちを拉致誘拐してここに連れ込んで、良からぬことをしている。それが最近の「奇妙な戦争」で明るみに出てきている。

 これらヌラギの数が数十、数百といった単位なら、先の馬鹿げた説明もある程度は説得力があるかも知れないが、現在確認されているだけでも、ヌラギは7千基もあり、島民たちが石材を得るために、壊して持ち去ったものも含めると12000を超えるという。

 地中海の一つの島(サルジニア島)に、1万基以上の戦勝記念碑や共同体センターがどうして必要であろう。その他、巨体の原始人の住居だったという説や、城塞だったという説もあるが、発掘によってそうした日常的に使用されたことを裏付けるような遺物は、一つも出て来ていない。世界遺産として登録されたし、何らかの説明をしなければならないので、事実を関心から反らすために、目眩ましの説明をしているに過ぎない。

 モヘンジョ・ダロや世界各地に残る「硝子になった町」や「緑の絨毯」といった遺跡に加え、この「ヌラギ」も、その真実は語らない、語らせないで遺跡のままに、そっとしてある。学者(考古学者を含め)は研究してはならない、メディアはこれに言及してはならないようである。研究結果を示す書籍などほとんど世に出てこない。

 その上、極めて興味深いのは「ヌラギ」という名である。これはフェニキア語のヌル=ハグ(火の塔)という言葉に由来する。この名の由来が真実を暗示している。言葉は多くのことを物語る。
 イスラエル民族の一部がユダヤ民族で、彼らはその後カナン人と名を変え、その後フェニキア人となった。彼らは北アフリカ、地中海南岸にカルタゴという都市国家を造り、そこを拠点に地中海世界を支配した。そこで、当時勃興し強国になりつつあったローマ帝国が、このカルタゴを滅ぼした。