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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年08月05日「心の感度 」と2020年10月14日「一途な心」の2つの記事を紹介します。
「心の感度 」
さて、私たちは、3つの世界の中で同時に生きています。
・見える世界(物理的な次元)
・見えない世界(黄泉の国)
・心の世界
一番大きくて、全てを包括し、大事なのが心の世界です。
心の世界こそが、見える世界、見えない世界を包括した世界の現実を作り出します。
ですので、ご自分の心の浄化こそが、全ての根本であり、
永遠に続く幸福を作り出すことができます。
目に見える、物に執着したり、目に見えない霊的な物ばかりに心をフォーカスさせるよりも、
まずは、自分の心の洗濯こそが、重要だと思います。
私たち人間は「考える葦である」などと言われます。
ただ、毎日を、食べて寝て、暮らしているわけではありません。
生活するため、生きるためだけに働いているわけではありません。
生きている間に様々な事件が起こります。様々な人との出会いと別れがあります。
誰かと友達になります。長く続く友達もいれば、あっという間に分かれる人もいます。
愛や友情を交わし合う人もいれば、憎しみ、罵り合う人もいます。
それは全てこの世で、いろんな経験をして、いろんな感情を味わうためです。
子供たちに対する大規模なアンケート調査でも明らかなように
これらの出来事は全て生まれる前に、もう決めてから出てきます。
大規模な調査を行った、産婦人科医の池川明医師ですので、乗り越えられない試練や苦難は絶対に設定してきません。
全ての目的が、その経験を通じ、魂の豊さを経験するためです。心の感度を上げるためです。
さて、今日は。そのような観点から「卒業式」にまつわるお話をご紹介します。
子どもたちの”いじめ”が深刻な社会問題になり、国会でも取り上げられる昨今、心温まるお話しです。
<引用開始>
小松まり子さんというお母さんがおられて、その方のお子さんの足が不自由で、小学校の六年間、車椅子で通っていたんです。
六年間・・車椅子の後押しをしたのは、近所の子どもたちでした。
毎日当番を決めて、登下校の後押しをしたのです。
来年から中学・・みんなと同じ中学に行けると思ったら・・
教育委員会から
「お宅のお子さんは体が不自由だから 設備の整った肢体不自由児の中学校に転校してください」って言われたのです。ご両親は納得されたのですが、友達は納得しませんでした。
六年間一緒に通ったんだから、中学も一緒でいたい・・
署名運動までして嘆願した。
「エレベーターが無くても、トイレに1人で入れなくても、僕らがいます・・
車椅子を担いででもやります」って言うんです。
そんな約束までして・・また三年間、一緒に中学に通ったのです。
三年生の最後の日・・卒業式の日に、一緒に卒業したかったのですが、身体不自由なうえに弱かったものですから 風邪を引いて卒業式に出られなくなったのです。
いつものように迎えに来た友達に、ベランダから「九年間ありがとう!」とお礼を言った。
『じゃ・・お前の卒業証書貰ってきてやるよ』と、友達は登校していった。
お父さんも「今日は早く帰るから・・一緒に卒業を祝おう」と言って出かけた。
お昼にチャイムが鳴ったので、お母さんがドアを開けたら・・
お父さんではなかったんですね。
卒業式を終えられた校長先生が、卒業証書を、わざわさ息子さんのために持ってこられ・・
各学年で担任をされた先生方も・・
小学校からズ~と車椅子を押してくれた生徒たちも・・
一緒に来てくれたのです。
盲目の友達のために校長先生は
『お子さんのお部屋で、卒業式をやらせてください・・』 とおっしゃった。
みんな部屋に集まった・・
お子さんを前に、校長先生が卒業証書を読んでくれた。
先生方は「よく頑張ったね!」と握手し 友達は、周りを囲んで校歌を歌ってくれた。
お子さんは、車椅子に座って証書を握りしめ、泣いていました。
お父さんもお母さんも、涙が溢れて止まりませんでした。
お父さんは、部屋のみんなに、喉を詰まらせながら、お礼を言いました。
『息子は・・皆さんの心温まる援助のお蔭で、無事小学校と中学校の両方を卒業できました・・
何を学んだかは 本人に聞かないと分かりませんが・・
人から受ける優しさほど、人の心を豊かにしてくれるものはない・・
ということを学んでくれたら、それだけで十分です』
NHKふれあいトークより
<引用終了>
家の実家は、もう何十年も前に衰退してしまいましたが、着物の町でした。
父も小さいながらも、着物の染め物工場をやっていました。
私が中学卒業する頃、私と同級だった特別支援学級に通っていた男の子が、卒業と同時に家の染め物工場で働くことになりました。
彼の障害は身体の方ではなく、勉強が少し人より遅れると言う障害でした。
(でも、やっぱり心は凄く純粋!!)
父は、その同級生を雇って仕事を教えることになりました。
私はというと、まだ働くどころか、親の脛かじりの高校生です。
今となっては、父がどういう気持ちだったのかは解りません。そんな父を尊敬しています。
九年間、車椅子を押し続けてもらった少年。
少年のお父様が言うように、何事にも変えられないほどの素晴らしい体験を通して、
それまで以上に優しく思いやりある人生に変わられたと思います。
ですが、もしかしたら それ以上に「心の豊かさ」を手にいれたのは九年間車椅子を押し続けた同級生たちかもしれないですね。。
お互い様、お陰様。有難いことですね。
こんな仕組み、こんな経験をさせて下さる、全てをディレクションしてくださった神様に感謝です。
私たちは、こんな風に、色んな出来事、いろんな人との、出会い、別れを通じ魂を震わせ、
良いことも悪いことも様々な経験を通じ、人を思いやる心の感度を上げて、魂を輝かせているのかもしれませんね。
「一途な心」
私たち日本には、素晴らしい文明があります。
それは、古い古い時代。4つのプレートがぶつかり合う場所に置かれ氷河期の終了とともに、大陸から列島が分かれ、山や川など美しい自然とともにはぐくまれた日本人の心です。
まさに、この日本の心をはぐくむために、神々が意図したことです。 私たちの日本人の心は、全ての物の中に神々を見出し、感謝と尊敬。お互い様、おかげ様の心を培い、助け合って生きてきました。まさに神々の世界の顕現です。
ですが、時代が下るとともに西洋文明の流入、戦後の敗戦処理それらによって日本人の尊厳は粉々に打ち砕かれました。
ですが、私たちの心の見えないところでは何千年もかけて、神々や祖先によって受け継がれてきた気質やDNAが存在しています。
今、精神性の復活の時代が幕を開けましたが、2つに分かれようとするこの地球に置いて、
この日本人の良き心を復活させることは非常に重要なことだと思います。
それは、
・力のある誰かによってなされることではなく
・神々に頼っていれば何とかなることではなく
・素晴らしい過去世を持つ人が何かをしてくれるわけではありません。
私たち一人一人が、日々の生活を送る中で我欲によって引き起こされる罪や穢れを祓おうという意思を持ち、感謝と、思いやりの心をもって生きることこそが大切なことです。
美しい地球、そこに住むみんなの幸せはそんな平凡な人々、つまり私たちの心の中から始まります。
今日は雑宝蔵経という仏教経典の中のお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
とある場所に、神様の御神体でもあります山の中腹に、大きな鎮守の森がありました。
その鎮守の森には、たくさんの動物たちが、仲よく平和に暮らしておりました。
そこに、ある日、一羽のオウムがエサを探し求め道に迷い、鎮守の森に紛れ込んでしまいました。つまり、迷子になってしまったのです。オウムはなんとか鎮守の森から外に出ようと飛び回りましたが、自分がどこにいるのかもさっぱり解りません。
そうしている内に、とうとう日が暮れてあたりが暗くなってきてしまいました。オウムはとても心配で不安に思いながら、自分の家の方向さえも解らず途方にくれていたのです。
日がどんどん沈み、あたりも暗くなるにつれオウムの気持ちも寂しく、しょんぼりしていた時、鎮守の森のさらに奥深くから鳥や獣などの動物がさくさん出て来ました。
すると、その動物たちは、「ねぇねぇオウム君、君は道を間違えてしまったのだよ。オウム君の家までは、ここからずっと遠いところだから今からでは帰れないよ。明日僕たちが送って行ってあげるから、今夜は僕たちの家にとまりなよ」ととても親切にしてくれました。
オウムも優しい動物たちの言葉と不安な気持ちでいたことから、動物たちの家に泊めてもらうことにしました。
動物たちは「きっと、オウム君は道に迷い、不安で寂しい気持ちになっているに違いない」
「だから今夜は、オウム君がちゃんと寝るまでは皆で順番にオウム君の側にいてあげよう」
と動物たち皆で話し合い決まりました。
「ここに木の実があるから、お腹いっぱい食べてね。あそこにはとても美味しい水があるよ」「何も心配いらないから安心してね」と動物たちはオウムにたくさん声を掛けあっていました。オウムもすっかり動物たちの優しさに慣れて、とうとうくたびれて寝てしまいました。
その様子を観ていた動物たちも夜中にオウムが起きて悲しまないようにと、皆でオウムの回りをぐるりと囲むように一緒に寝てくれました。
翌朝、空は晴天です。朝日に照らされながら、オウムは鎮守の森の動物たちに賑やかに送り出され、オウムが家に帰れるところまで一緒に付き添ってくれました。そうして、無事に自分の家に着くことが出来ました。
家に着いたオウムは、あの山にいる動物たちの優しさが嬉しくてたまりません。仲間の動物たちにも昨夜の話を自慢げにたくさんしていました。
そんなある日、優しくしてくれた動物たちの山の方を見ると、親切に優しくしてくれた動物たちの山からたくさんの煙が立ち上っています。オウムは驚いて、急いで動物たちが暮らしている山の方へ飛んで行くと、なんと!山が大火事になっているのです。
オウムはいてもたってもいられません。そこでオウムは、すぐさま川に飛び込み、自分の全身を濡らしては飛び立ちました。しかし、川から山火事の場所に着く手前で、ほとんど体から水が落ちてしまい山の上空で体を振っても2.3滴しか水が落ちません。でも、オウムは諦めようともしません。なんども何度もオウムは川に飛び込んでは自分の身体を濡らし、燃えさかる山に飛び立ち火事の上空で体を振って2.3滴の水を落としています。
その時、近くの木立でオウムの様子を見ていた他の鳥たちが、オウムを嘲笑います。
「オウム君、君が運んでいる水であの山火事を本当に消せると思っているのか?」
「無駄なことは止めな」
「そんなことをしたってくたびれるだけだよ」
などと言いながらオウムを皆で笑っています。この時オウムは、自分を嘲笑う鳥たちに言い放ちます。
「確かに、僕の運んでいる水は僅かです」
「あの山の火事は消えないかもしれない」
「だけど、僕が鎮守の森で迷って、困っている時に、僕に親切にしてくれた友達が、あの山にいるんです」
「僕を助けてくれた友達が苦しんでいると思うと、僕はいてもたってもいられない」
「だから、僕は絶対に止めない。僕は水を運び続ける!」
と言って一生懸命に水を運んでいます。すると突然、さっきまで晴天だった空が曇りだし、大粒の雨が降って来ました。もの凄い大雨です。オウムもビックリして茫然としていると、その大雨のおかげで山火事はたちまち消えていました。
<引用終了>
似たようなお話に「ハチドリのひとしずく」というお話がありますね。
大切なのは、今、自分が出来ることは何かを考え、どんなに人から馬鹿にされ、蔑まれようと、それを実行する勇気なのかもしれません。
・物語の中に登場してくる鎮守の森の動物たちの親切さ
・困っているオウムに対する優しさ
・なんら見返りを求めず、自らオウムに積極的に話し掛けてくる動物たち
私たちの日常生活の中でも同じような光景があります。
一生懸命に努力している人を、努力をしない人が
・得にもならないことをよくやるな
・そんなことしても無理だ
そう言います。
でも困っている人を見て、その心情をくみ取れる繊細な感受性を持ち、居てもたってもいられずに、「助けたい」と云うただ一心で、純粋な心で行動する人たちも確かに存在します。
そのような心根を神々が放っておくはずがありません。どんなに困難に見えることであってもその心根が「人を助けたい」という純粋で一途な気持ちであれば、その決心をしたとたんに、一気に周りの次元が上昇し、周りの状況が協調して助けに回って動き出すことでしょう。
それをサポートオブネーチャー神仕組みの発動と言います。
全ては、私たちの心にかかっています。静かな場所で、自分の心を見つめなおし、内観してみれば自分の心は、今 どちらの方向に向かっているかすぐにわかります。