会社で社員さんを採用する基準は順番でした。
最近は増員を考えたこともないですが。
すなわち縁です。「こちらはあなた様さえよろしかったら
採用させていただきます。明日中までにお返事ください。」といって集まったひとびとの集団が今の会社。
こちらではとても優劣をつけることなどできません。
だから順番なのです。
会社の業績が落ちてくると必ず人員カットが
もっとも早い効果的な経費節減と、企業は考え実行します。入っていただくときはあんなに願ったのに。
困ったら裁いて切るのです。9年前ハガキ道の坂田さんに教えていただいたご本があります。
「文読む月日 上下巻」土御門二郎 著
著者の土御門さんはこの国のトルストイ翻訳の第一人者です。戦時中「人が人を殺すことは絶対いやだ」と山へこもり
戦争拒否をした方です。あまりのすごさに特攻警察も
追うことをしなかったらしいです。上巻のなかの一週間の読みものの一つをご紹介します。
ある町に立派な町長さんがいた。
町長さんはだれからも慕われていた。実業のほうも繁盛し経済的にも繁栄していた。
ある日その町で新しい裁判官を選ぶ必要ができた。
町の人々はみんなが町長さんが適任だ、町長さんしか
いないと口々にいった。代表者が町長さんに裁判官の就任をお願いに出向くが
町長さんはお断りになる。何度ものお願いにもかたくなに
辞退された。辞退の理由を尋ねても理由をはっきりと言われない。
町民は納得せず、みんなの前で何故出来ないのかを
はっきりといってくださいと要請される。そしていよいよ町民にわけを話す日が来た。
大勢の町民を前に彼は語り始めた。「私はじつは幼い頃泥棒の子供だったのです。」
町民は唖然とした。町長さんは話を続けた。「父親が泥棒のリーダーだった。時には私も頼まれて
泥棒の手伝いを何度もしました。
ある夜商家の蔵に泥棒に入ることになりました。蔵の窓は高いところにあって小さいものですから、
大人の体は入れません。私がその窓から入って縄をつかって
蔵の中に入りました。その縄に蔵の物を結わえて
幾度も物を運び出しました。何度目かの時、商家のほうから
ざわめきが聞こえました。見つかったようでした。縄はあげられたままでしたので、逃げることもできません。
蔵の中で幼い私は泣き叫びました。
父親たちは逃げていったようでした。絶望と恐怖で胸が一杯でした。
蔵はあけられ、警察と家の人たちに発見されました。警察につれられようとしていく時にその家の奥様が警察の
人に話してくれました。”みればまだ幼い子供です。
私が引き取りますので
どうぞ許してあげてください。”といってくださったのです。」聴衆はシーンとしている。
以来その子供は奥様に可愛がられ、養子となった。
一所懸命に働き、嫁をめとり、家業を盛り立てた。「もしあの時奥様にひろわれなかったら、私の人生は
どうなったかわかりません。だからそんな私が他の人がいくら
悪いことをしたからといってとても裁くことはできないのです。」町の人びとは静まりかえり、誰も反論するものはいなかった。
私たちはいつも人を裁いてはいないだろうか。