人が会い、別れる。
これは人生の常ですが、時には
驚くべき再会が待っているのも人生ですね。
このような再会ももちろん必然だとしたら
一体、そのような再会は個人に何を伝えているのでしょうか。
名古屋市のど真ん中、栄という町での
初めての出会いから数年が経過した後の
ほんとにビックリするような再会のお話です。
栄にデザインセンターという巨大なビルがあります。
その南真向かいに、ある飲食店がありました。
その飲食店は特にハンバーガーがおいしくて
とても繁盛店。
お昼には行列ができるほどのお店でした。
ところが5年ほど前に突然飲食店を閉店します。
そして新たに同じ場所に「ムーンOO」という
会員制のお食事もでき、会合もできるお店に
変身。
このお店のオーナーは株式会社 S といって
全国に雑貨を提供される会社で、顧客は
雑貨店です。いわゆるBTOBですね。
飲食店は別事業へのきっかけを探しているかのような
事業でした。
そのオーナーさんは繁盛する飲食店から
何故お店を変身させたのか。
実はその方の英会話の先生のお話が原因です。
その方S女子から、
「明治維新の頃、下級武士が幾度も話し合って
この国をどうするのかの夢を語り合った。
そのような場所があれば今後の国のために
役立つのではないか」との進言がありました。
その話で意気に感じたオーナーさんは本業とは異なる、
食事を提供しながら、そのような場所をも提供できる
会員制のお店を作ろうと改装したのです。
まさに行く先不明、前代未聞の冒険船の
船出のよう。
20年ほど前からのこちらの知人でもあったその英会話の
先生S女子から、会員の勧誘を受け、お店を見学後
オーナーの意志にも共感し会員となりました。
「冠之会」の開催をこの場所でしようという
計画です。そのため会員にはもう御一方にも
なっていただきました。
その後、お昼の3時でも4時でもいつでも
利用できるという安心感も手伝ってたくさんの
お方を同伴させていただきます。
ゆったりとした空間、心地よいベランダ
そして家具や内装、お食事いずれもとても満足しました。
「冠之会」も夜2年間ほど利用させていただき、
会の後食事もできるので便利です。
懇親会は毎回洋食はつらいので、2回に一度は近くの和風炉端の
「山家」に行きました。
「山家」はきさくな店長のYさんが人気です。
「Moon00」では管理部門のHさんと料理部門の
Nさんが経営の両輪です。
やはりお料理がとてもおいしくてハンバーガーの流れを
そのまま繋いでいました。
ところがこの料理のNさんの本業は陶芸作家さんなのでした。
2年がたったころ、夕方から英会話の先生Sさん
主催の大規模なパーティーが開催されて参加。
きっとあまり普段は人が来ていないお店への
協力をSさんは考えたのでしょう。
そのパーティーがこのお店の最後の繁盛となりました。
その後しばらくしてお店を閉店し、会員への
残った会費の返金をしますとのお知らせが届きます。
わずか3年ほどでお店は閉店となりました。
時代がまだ場所を求めていなかったかも知れません。
こちらにはとても素的な空間でしたが。
時は流れその3年後の、この9月3日のお話と
なります。
令和3年9月3~5日の3日間、東京からA女史他
3名の「オオミタカラ研究会」という会の
メンバーを名古屋にお迎えし、湯の山温泉の
「三峯園」で懇親会を開催。
4日、5日は心が赴くままにという企画です。
メンバーのお一人が特に陶器がお好きで
3日、湯の山への道の途中に「かもしか道具展」という
良く知られたお店があるので立ち寄りたいとの
ご希望がありました。
こちらはあまり陶器には興味がないのですが、
その「かもしか道具展」の展示場兼製作場を
見学しているうちに、いつかの上京時に
なくした「くまもんのエプロン」がこころに浮かび、
展示してある「かもしか道具展」のプリントがある
エプロンを購入しました。
ところが30分ほどお店をゆったり回っている
間、なんだかどなたかの視線を強く感じるのです。
マスクなので目しか見えず、どなたかの判別が
しにくい世の中ですのではっきりしません。
いよいよ帰ろうとしますとその「かもしか道具店」の
店長らしき視線を感じていた方からいよいよ
お声がかかりました。
「もしかして鈴木さんじゃないですか。?」
「違います山田です。どなたかとお間違いでは。?」
マスクでどなたか判別不能です。
なおも、
「あの栄でカフェしていたときによくおいでいただいた・・・」
「あああーーー!!!あれ~~~」
ビックリ驚きの再会です。
いつも「MooN00」で料理をしていただいた
Nさんでした。
今は株式会社 S とは関係なくご縁があって
このお店で働かせていただいてますとお聞きし
びっくり仰天の再会を共に喜びました。
実は先回コロナが始まったころにもS女子には
名古屋においでいただき、さまざまな場所へと
ご案内申し上げました。
その帰京までの新幹線の時間が少しあったので、
名古屋駅の新幹線南口のエスカ地下街のある食堂に
フラっと入ったことがあります。
そこは「海老どて」という巨大な海老フライとか
名古屋名物のドテ煮などを提供するお店のようですが、
初めての入店でした。
そのお店で軽く打ち上げをしているときに、
店長さんが席に寄ってきました。
「もしかして山田さんじゃないですか。?」
「?」
「私ですよ私。栄の山家ではお世話になりました。」
「MOON00」の近くで2回に一度利用させていただいた
「山家」の素的な店長Yさんでした。
名刺を渡されて「今はこんなところで働いています」と
やや自嘲気味です。
帰り際にもお店の外までおいでいただいて、
「山田さんは忘れませんよ。声に特徴が
ありますからすぐにわかりました。」と
なつかしさに追い打ち。
「またきっと来てくださいね」とお別れです。
やっぱりその時も「オオミタカラ研究会」の
A女子がらみなのでした。
先の英会話の先生S女子との初のお出会いは
横浜へ向かう新幹線の中、25年前にはあった
食堂車での同席でした。
車両の決まった席にはつかず、ずっと横浜までお話し、
その後いろんな慈藹塾の集いに参加されています。
今回のような不思議な再会は何を告げているのでしょうか。
実は25年前のその日に横浜の旅行社で
今生初めて飯島秀行さんにお会いしたのです。
「現象の原点に還れ!」
そのようなお声が聞こえます。
2つの再会に、飯島さんに、そして
A女史、S女子に感謝申し上げます。