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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年09月29日「光の吸収材」と2020年12月30日「環境の主人」の2つの記事を紹介します。
「光の吸収材」
今日は、あるおばあさんのお話です。
とっても良いお話です。
感謝することの大切さについての、作家 中井俊已さんのお話です。
私たちは感謝の気持ちを持つことで、あらゆる災難から救い出され、
そして宇宙と調和し、幸せな道を歩むことができます。
<引用開始> 引用元
あるおばあさんのお話です。
そのおばあさんは、家族も親戚もおらず孤独でした。
自分の悩みをある人に、こう打ち明けました。
「自分はもう年老いていて病気で、入院しているので、人にお世話になりっぱなし。
若い頃と違って、もう人の役に立つことはできない。もう早く死んだ方がいい」
それを聞いた人はこう言いました。
「いいえ、おばあさん。おばあさんにも、人の役に立つこと、できることがありますよ」
おばあさんは驚いて、その人の話に耳を傾けました。
「たとえば、おばあさんに親切にしてくれる人、世話をしてくれる人に心から感謝するんです。そして「ありがとうございます」と言うんです。
それだけでも、おばあさんは人から喜ばれる人なんですよ」
それを聞いておばあさんは、なんだそんなことかとがっかりしました。
しかし、おばあさんは、これまでのことを振り返ってみて、ふと気づきました。
病院に入って、自分は不満ばかりを言ってきた。
あれがない、これがない、あそこが痛い、ここが痛いと・・・。
看護師たちは、それに対応するのが仕事だから当たり前だと思ってきた。
少しでも対応が遅いとイライラして、皮肉や嫌味の一つも言わねば気がすまなかった。
ああ自分はなんと感謝のない日々を送ってきたことか。
それで、おばあさんは、それから自分と関わる人に、感謝の気持ちを表すことにしたのです。
自分の病室にやってきて世話をしてくれる看護師さんや掃除担当の方に
「ありがとうございます」
と、その人の顔をちゃんと見て頭を下げるようになりました。
すると、その人は笑顔になり、おばあさんも嬉しくなるのでした。
次第に、おばあさんの心から不平不満が消えていきました。
何週間か後、ある見知らぬ婦人が菓子包みをもっておばあさんの元にやってきました。
「わたしは、この病院にボランティアに来たことのある中学生の母親です。
うちの息子は、ずっと不登校だったんです。
けれど、この病院で患者さんたちと接するうちに おかげさまで元気になりました。
特に303号室のおばあさんのことをよく口にして・・・」
303号室のおばあさんとは自分のこと。
おばあさんは、その男子中学生のことを覚えていました。
その子は、食事のお盆や食器を朝昼晩、
体が思うように動かないおばあさん代わりに片付けくれたのです。
「ああ、あの子のお母さんですか・・・」
「はい、うちの子がお世話になりました」
「いえいえ、本当にいい子で、お世話になったのはわたしの方ですよ」
「はい、おばあさんがそう言って、感謝してくれるのをうちの子、とっても喜んでいました。自分も人の役に立てるのが分かったって。それから、あの子、学校に行くようになったんです。今まで、私がどんなに説得しても行かなかったのに・・・」
そこでお母さんは泣き出した。
「あの子、ちゃんと勉強して、将来は病院に勤めたいって・・・。
目を輝かせながら言うんです。 あの子のあんないい顔を見たのは、もう何年ぶりです。
おばあさんのおかげです。本当にありがとうございます」
おばあさんも、涙がこみ上げてきた。
自分はただ少年に「ありがとう」と感謝をしただけなのに・・・。
それをこんなに喜んでくれる人がいる。
「おばあさんにも、人の役に立つこと、できることがありますよ」
あの言葉をおばあさんは今一度噛み締め、目の前の婦人に深く頭を下げながら、
手を合わせて感謝するのでした。
<引用終了>
おばあさんは、ただ感謝しただけでした。でも、まわりの人に喜びをもたらしました。
そしておばあさん自身も、幸せになりました。
・感謝することで、人の存在を大切に思えます。
・感謝することで、自分の存在意義に気づきます。
・感謝することで、私たちは人に役立つことができます。
感謝することで、ただ感謝する事だけで、私たちは喜びを分かち合う事が出来るんですね。
皆さんも、世界一強力な言霊、「ありがとうございます」を使ってみませんか?
きっと、驚くほど周りの環境が良き方向に変わって行きますよ。
私たち人間は神さまから一つだけ、素晴らしい権利を与えられています。
それは「感謝してもよい」という権利です。
この感謝の行使こそが「ありがとうございます」の言霊です。
神さまの恩寵は誰かれの区別なく注がれています。
でも、それを受け取れる人、受け取れない人がいるのは何故でしょうか?
それは「感謝の心」があるかどうかです。
感謝の心、ありがとうの心は、神さまの恩寵の吸収材になります。
それがないと、神さまの恩寵は現象として現れることができません。
感謝の心は、神さまの恩寵をこの物質次元に表してくれる吸収材です。
私たちは、この「感謝の心」を使って、宇宙と調和し、宇宙を味方につける権利を
神さまから与えられて、生まれてきました。
「環境の主人」
今日は12/30 晦日。皆様が、激動の今年を締めくくり、新しい幸せな年を迎えられるように今日も書きたいと思います。
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」に、こんなことが書いてあります。
神様がお植えになったところで咲きなさい。咲くということは仕方がないとあきらめるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです。あなたは、
・体調が悪いから
・思ったように物事が進まないから
・ムシャクシャするから
と、仏頂面で人に相対していませんか?それを見た人、そばに居る人はそのイライラした波長が伝わるため、ドンと気分が落ち込んでしまいます。自分の都合で、周りを不幸にして良い権利は、誰にもありません。
渡邉さんは、36歳で図らずもノートルダム清心学園の学長を任され、右も左もわからず、不平不満ばかり口にしていた時に、宣教師の方から頂いた言葉だそうです。渡辺和子さんと言えば、今では「置かれた場所で咲きなさい」で、大変有名な方ですが、そのような天使のような人でさえ、若い頃は、私達と同じく不平不満の塊だったのですね。
そして更に50代でうつ病を発症しますから、彼女が今知られているように天使のような心になるまでにはまだ時が必要でした。いくら修道院で修行してきたからとて、まだ若く経験が無ければ仕方のなかったことかもしれません。
当時は、慣れない仕事や、周りのやっかみもあり、置かれた場所に不平不満だらけ。
他人の出方で、幸せになったり、不幸せになったりと、環境の奴隷だったそうです。
私達も良くやりますね。
誰かが、仏頂面してた → 私に何か文句があるの? → 私も 仏頂面してやれ、無視してやれ
誰かが、挨拶しても返してくれない → 私が嫌いなの? → フン。私も嫌い。悪口流してやる。
笑顔、あいさつ、仏頂面は伝染します。
でも、もしかしたら、相手の人は、体調が悪かっただけかもしれません。朝出かける時に、たまたま家族とケンカしたのかもしれません。また逆に どなたかが、笑顔で話しかけて来てくれると、一遍で好きになって味方になってしまいます。
まさに渡辺さんが言うように「環境の奴隷」です。人間として生まれたからには、どんな場所に神様が置いて下さろうと、環境の主人となり、自分の花を咲かせたいものですね。
咲くということは、この宣教師の方が言うように、仕方がないとあきらめるのではなく、
笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのですね。
私たちは、よく口にします。
・お金が貯まってから
・時間が出来てから
また次のようなこともよく言います。
・あの人のように、お金持ちの家に生まれていたら
・あの人のように、美しかったら
・あの人のように、健康だったら
・あの人のように、能力があったら
そして、最後は、必ず、どうせ私なんか。。。
私たちの神様は、うっかりミスをして、私をこんな環境に、生まれ付かせたのでしょうか?
それともシスターが言うように いまの環境に私が生きているのは、自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神さまが、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明するためでしょうか?
花の使命は咲くことにあります。他の花と比べて優劣を競うことでもなければ、どこに置かれるか、でもなく、自分しか咲かせられない花を一番美しく咲かせることにあります。
誰かと比べる必要もありません。人は、それぞれ生まれて来た目的があります。それは、生まれる前に決めて来たことです。その目的に従って
・経済状態
・健康状態
・家族状況
・容姿
・性格
全てを神さまと共にカスタマイズして、生まれてきました。だから、全ての人が、全部違う環境に置かれています。自分にとって自分の魂を輝かせるために今の環境は最適なものだからです。
嬉しいこと楽しいこともそうですが、それよりも辛さ、悲しさ、苦しさそんなものが、私たちの心の砥石となり、もともとダイヤモンドのように輝いていた私たちの美しい魂を、
再び見せてくれるものだからです。
私たちの心が全て決めます。心が変わらない限り、現実は変わりません。心にこそ、全ての初動のエネルギーがあるからです。心と意識が、私たちの生きる現実を作っているからです。
どうぞ、今日、明日、心穏やかに過ごし未だ無の中に潜在している来年に向けての、見えない大きな時のエネルギーをお正月の静寂の中で熟成させ、その初動のエネルギーを良き年が来ることに、お使いください。何故なら、それが可能だからです!!
激動の年の最後にあたり
・温かな優しい心
・周りの方々を慈しむ心、
・出しゃばらず、そっと見守る愛の心
・助け合い、調和していこうとする「お陰さまの心」
今まで生かし、育ててくださった人々、友人への感謝の心でお過ごしください。
来年は、今年の惰性でも延長でもありません。私たちの、今の心が、その方向を決めることです。皆さんがご自分の内に居らっしゃる神さまに気付き、お幸せになれますように。