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今から131年前、明治23年(1890年)の今日、10月30日、明治天皇は日本の教育に関する基本方針として、「教育に関する勅語」(教育勅語)を渙発された。
前年の明治22年2月11には、大日本帝国憲法が発布され、翌23年11月29日に施行された。つまり、大日本帝国憲法が発布され、それが施行されるまでの間の、明治23年10月30日に「教育勅語」が渙発されたのであった。
時代が下って、それから75年後の昭和21年(1946年)、教育勅語を教育の基本規範にすることを止めた。「勅語および詔書等の取り扱いについて」と題する一片の文部省次官通達により、この「教育勅語」は事実上廃止となった。そして、これはその2年後の昭和23年6月19日、衆議院で「教育勅語等の排除に関する決議」、参議院で「教育勅語等の失効確認に関する決議」がそれぞれ決議されて、教育勅語は学校教育から排除された。
昭和20年に日本はGHQに占領され、この種の重要事項を決議するような権限は、日本の議会にはなかった。被占領期間後の昭和50年11月に「文教審議会」で、教育の基準として教育勅語に代わる何らかの道徳綱領の必要性が議論されたが、作る必要性はないとの意見が大半を占めた。従って、ここで日本の教育に関する、「教育勅語」に代わるものはなくなった。日本国があれだけ大事にしていた日本の子弟教育についての指針というものは、ここでなくなったのであった。
昭和25年(1950年)、終戦から5年経っても、「教育勅語」の復活はなく、今日に至るまでこれに代わるものはできていない。現在「新しい教科書を作る会」などで、教科書問題が議論されているが、この「教育勅語」復活についての議論はない。
また現在、憲法改正の必要性は叫ばれているが、教育現場での教育勅語の復活の話は出てこない。議論の場にすら出てきていないと言うことは、復活はないというのであろう。その上、日本の教科書作成に当たっては、近隣諸国と協議の上で作成するという「近隣諸国条項」が付けられており、反日的な近隣諸国の了解なしでは、教科書一つ作れないことになっている。
終戦後、GHQがやって来て、日本の制度を次々に壊していったが、教育という国家にとっての最重要事項が押さえられていると言うことは、まだ占領が解けていないと言うことである。
また、日本に駐留している米軍は、日米安全保障条約で日本を護っていることになっているが、実際は、逆にこの条約に基づいて、在日米軍は日本を監視しているのである。
先の大戦以後、奥の院は、極めて反日的な国家を日本のすぐ側に配置し、しかも、この日本の内部には日本監視軍、暴動鎮圧軍を置いている。しかも、日本内部には日教組のような反日団体を配置し、しっかり日本を監視させ、奥の院は日本を決して独立国家とはしない態勢を敷いている。しかも、日本国民には独立国と思わせるようにしている。
終戦後に奥の院は「日本を再びアメリカ(奥の院アメリカ)に二度と逆らうような国家にはしない」と決めている。そのために、「教育勅語」などは廃止させ、子弟教育からしっかり干渉しているのである。
あとは天皇・皇族を廃止することだけが、彼らにとって残った課題である。これからここに総攻撃を掛けてくるはずである。今回の小室問題もその一環なのかも知れない。