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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年10月31日の記事を紹介します。
「神々の望むもの」
イエスがゴルゴダで亡くなるまで、たった3年間でしたが、民衆に教えを説きました。
その後、バチカンを中心に教会が作られ宗教が作られましたが、イエス自身は、クリスチャンでもなかったし、宗教を起こそうとしたわけでは、ありません。
ただ、民度の低かった人々に、自分たちの内なる神さまの存在を説き、どうしたら、みんなが幸せに、笑顔で暮らしていけるか?その方法を説いたのでした。
イエスの最後の3年間、聖書を書いた弟子たちが様々なエピソードを、それぞれの視点から書きました。ヨハネなどは、その中でも、できるだけ人々の心の中に、依存心を起こさせないよう、他人や、奇跡に頼らないように、極力、奇跡に関する記述を排除しました。
またイエス自身も、下記のようなことを仰いました。
イエスの語る、全ての良きこと、そして行った奇跡はイエス自身の力ではなく、
全ては神さまから来ているのである
イエス、つまり自分自身は、全く無力であり、単なる、その通り道、導管にすぎない。
もし、誰かが、他人に頼ることなく、依存することなく、自分の内に居らっしゃる神さまと繋がりができたら、イエス以上に、奇跡を起こし、良きことをするでしょう。
そのように、自ら表に出ることなく、謙虚に仰いました。
イエスの説いた教えの中で「黄金律」と呼ばれるものがあります。
大変シンプルなものです。
そして、それこそが、
・イエスが人々に教えたかったこと
・実践して欲しかったことのエッセンスです。
日々の暮らしの中で、私たちができる最善のことは、イエスの仰った「黄金律」の中で述べられています。
イエスは、こう仰いました
人にしてもらいたいと思うことを、人にして差し上げなさい。
たったこれだけです。とてもシンプルです。ですが、これがイエスが、最後の3年間に説いたことのエッセンスです。人が、何をして欲しいと願っているのか?
・想像力を働かせる必要があります。
・人の気持ちに寄りそう必要があります。
もしかしたら、同じ悩み、苦しみを経験してきた人の方が、
相手の方の気持ちを理解し、寄りそえるかもしれません。
いままで成功し続け、身体が健康で、お金の不自由をしたこともない人には、
相手の方に寄りそうこともできないかもしれません。
気持ちを理解することもできないかもしれません。
それだけでも、今私たちの置かれている
・悲しみ、
・苦しみ
の苦難の経験は、無駄ではなく大切な経験であると言えます。
中間世記憶のある子どもたちが言うように
・両親
・容姿
・病気や健康、
・生きて行く境遇まで、
生まれる前に神様とともに、自分で計画してきたのですから。。
またブッダは、生老病死について深く思索し、人間のさまざまな悩み、苦しみの原因について、そして、その解決方法について教えてくださっています。、
その教えの真髄を、現在でも、様々な場所で、唱えられる、般若心経で教えてくださっています。
人間が生きて行くなかで様々な、悲しみや、苦しみが起きる。
でも、それには一切、色が付いていない。
色とは、
・良い
・悪い
など、人間が判断し決めつけているものです。
色が付いていないとは、どんな現象も、良いも、悪いも無いのだよ・・
そうブッダは仰いました。
その起こってきた現象に良いとか、悪いとかレッテルを貼り、一喜一憂し、悩んだり苦しんだりすることが、色を付け、ジャッジする人間の悩み苦しみの原因になっているんだよと、
般若心経で教えてくださいました。
とは言っても、私たちは生身の人間、どうしても、感情が揺さぶられます。
でも決して、それが悪いことではないのですが、いつまでも引きづり、不平不満、愚痴の種にしてしまうのが、いけないようです。
産婦人科医 池川明先生の大規模な調査の結果、小さな子供たちの 実に1/3に、生まれる前の記憶、つまり中間世の記憶があるそうです。(段々と薄らいでいくようですが)
その記憶を持つ子供たちの証言に寄れば健康な身体、病弱な身体・・
それらも生まれる前に神さまと相談して、自分で申告してから生まれてくるそうです。
つまり、その経験をすることによって魂を進化させるためです。
言いかえれば、感謝の気持ちを理解できるようにするためです。
私たち人間は健康であったり、豊かであると、どうしても、その状態が、「当たり前」であり、有難いことであるとは、全く思いません。
ですが、病気になって見れば、健康だった時、どんなに幸せだったか・・
空腹で、飢餓状態の時に、一つの塩おにぎりが、どんなにおいしいことか?
貧乏のどん底に落ちた時、100円玉、500円玉が、どんなに有難いか理解できます。
今まで、「当たり前」で、「有難いこと」などと思ってもいなかった状態が、どんなに「有難く」、幸せな状態だったかが分かります。 当たり前の状態に、感謝することができます。
神道では、神々の恩寵は、誰にでも平等に注いでいるが、それが実際に現れる人、現われない人の差が出るのは、感謝の心が、あるかないか、そこに尽きると 言われます。
ですから、人生で起こってくる様々な艱難苦難は、長い長いスパンで見れば、私たちに、
・本当の幸せとは何か?
・感謝の気持ちとは何か?
・お互いさまの気持ちとは何か?
・お陰さまの気持ちとは何か?
そして、そこから湧き起こってくる周りの人々との、協調、調和、相互理解、助け合い、思いやり、、そんな気持ちまで発展させてくれる、尊いものです。
最後に、相田みつをさんの「仏の教え」についてご紹介して終わりにします。
「ほとけさまの教えとはなんですか?」
ゆうびん屋さんが 困らないようにね
手紙の宛名を分かりやすく 正確に書くことだよ
「なんだ、そんなあたりまえのことですか」
そうだよ そのあたりまえのことを こころをこめて実行してゆくことだよ
イエスの黄金律と全く同じですね。
私たちは何か
・特別な誰かに頼らなくても
・特別なことをしなくとも、
・特別な場所へ行かなくとも
・特別な能力などなくとも
周りの方々を思いやり、助け合って 感謝の心で日々暮らしていくことが、神々の本当に望んでいる姿のようです。