目の前の現実は自分の意識の影か・・

このピアノの奏者の男性Tさんの笑顔は狭い会場に
いる間終始変わらずにいて、一度も笑みを絶やしません。
つらい過去があったことを少しお話なさった時もです。

またクリスタルボールの奏者であり歌手でもある
サラさんもまた同様でした。
彼女もたくさんの体験があるのにです。

「目にする現実は自分の心の影」

この言葉はよく耳にします。
まさか。?
いやなことが起きると、「あの人が この人が」と
お人を攻めるのが人の常。

自分の意識が出した結果であるのが
この現実とは、信じられないとよく
他の方からお聞きします。
ほんとうでしょうか。

そのことの真実を体験なさった方のお話です。

恵那、京都、東京と続いた令和3年の
11月の末の5日間の旅は、人生でもとても激しい
体験の旅となりました。

そんな中で東京での宿泊地東横インさんでの
朝は特に印象的な体験の朝を迎えます。

東横インさんは家の前にもあるのですが、
なんだか旅先の宿泊場所に選んでしまいます。
その部屋にはとても精神的な自己啓発的なご本が
どうぞご自由にという感じでおいてあるのです。

その中の小冊子の一つが気になって読ませていただきました。
「新聞記者の内観体験記」

内容を少し。

著者は新聞記者。
とてもやり手で、結構激しく強引なことが多い。
家庭では食事中、子供二人が食事のことで
言い争っていますと、「こんなところで食事はできん!
静かになったら呼びに来い!」と奥さんに言い放って
自室に閉じこもったりします。

そんな著者の男のお子さんがある時から、
起きたらあちこち歩き回る多動性の症状に
陥ります。
次第にその時間が長くなり、毎日午前中は続くように
なっていきます。

同じお子さんの歯が痛み出し、治療にと医者に
出向きますが、医者の説得にも関わらず絶対に
口を開こうとせずにいました。
医者の方もあきらめて、また今度ね、となったようです。

そのような家庭内のできごとや、会社での
殺伐とした空気感を何故だろうかと著者は感じ始めたのです。

そしてもしかしたらこのことの原因は
自分にあるんではないのだろうかと
思い始めます。

友人からの勧めもあって、7日間の
「集中内観研修」に出向く決心をします。

幼少期からの自分がお人にしてもらったこと、
自分がしてしまった過ちと思うことなどを
2~3年に区切って次々に思い出していきます。
囲った狭い空間での行為です。

最初は思い出すのも苦しく、やはりお人を
呪ったり、思い出したくないいやなことを
思い出さなければならず、本人の心の中にしか
ない心を抉り出すような行為の連続に
次第に苦しくなります。

続かない人は自由に断念してもよいので、
中途で去って行く方もみえます。

日が経過するにしたがって徐々に楽しくさえ
心が変化してきた著者は無事に7日間を終了します。

そして研修を終えて外に出た瞬間から、全ての人が
なつかしく思えます。景色さえも愛しいのです。
最初に入ったあるお店で口にするお水に涙します。

「全部自分だった」

息子のことも、家庭のことも、会社の雰囲気のことも。

奥様がまだ若かった時の結婚だったので、
奥様の実家の父母に大反対され、奥様の
強い意志で「実家より私はOOさんを選びます」という
固い意志があって結婚となったいきさつがありました。

ですから表面上はおだやかな奥様の実家との
関係でしたが、心の奥には互いに溶け合えない
気持ちが残っていました。

研修後その原因は自分だったと心の底から
感じ入った著者は電話で誠実に奥様の実家の
お母さんに謝ります。
今までにはない魂の言葉にお母さんは
応えます。

「いいお婿さんにもらっていただいたと
喜んでいたんですよ」

お母さんの始めてといっていい優しい言葉は著者の
魂に届き、すべては自分だったのだと確信します。

そして多動の息子さんと向き合い、一時間話し合います。
「お父さんが悪かった、赦してな・・・」

お子さんの多動はピタリとやみ、学校へも
翌日から出校するようになっていきます。
そして苦手だった歯医者さんも再チャレンジして、
恐怖心に堪え無事に口を開けました。

家庭の雰囲気は一気に幸福感に溢れます。
あまりの変化に奥様や子供たちの家族も
内観の体験者となります。

そして会社の雰囲気もガラリと変化していきました。

「目にする現実は自分の心の影」

こんなにも明らかな変化の真実を体験することでしか、
この言葉の確信は得ることができないのでしょうか。

実はすべては日常に転がっているかの
ようです。日常でのすべての出来事は
自分の心を教えているのかも知れません。

「集中内観研修」を体験したらずっと
そのような心持でいられるかは疑問です。
著者は少しずつもとに引き戻される
自分の心を知ります。
6カ月間で戻ってしまいそうな心を感じ、
再び研修に出向くことになります。

このように「自我」は相当に手ごわい。

人間は誰でも「幸福になりたい」と願うもの。

何かの感情や判断してしまう自分に気づいた時には
ラマナ・マハリシの言葉「私は誰か」で
「自我」の消滅に挑戦していきたく感じています。

これが自分の「内観法」です。

東京の朝、予約いただいた友人の
おかげで素晴らしいご本にであいました。

ありがとう。