*********************************
「出したものがかえる」が自然の法則です。
自然は汚れを出さない永久循環のしくみです。
弊社の商品は、自然をお手本にし、自然のしくみを応用しています。
バンブー等の商品をとおして「汚さない運動」を提唱し、
洗濯や炊事、掃除など日常生活で当たり前におこなっている
中で、汚れを出さない方法を提案しています。
*********************************
テネモス内にはうどんバル(バルとはスペイン語で居酒屋のこと)
があります。水はもちろん、肉や野菜などの素材から作り方まで
ナチュラルにこだわっています。
今年の2月だったでしょうか。うどんバルで使っているネギを出荷
している農家さんが来られました。
その農家さんは、数年前から「自然が教える農業」で、ネギを作って
いたそうです。テネモス敷地内のうどんバルから注文が入ったご縁に
驚きつつ、喜んでおられました。
農家さんに、この考え方を知って、一番どこが変わりましたか?と
聞いてみました。すると、
「どこが変わったというか・・180度変わった」
とのことでした。
それ以来、180度というのはどういうことなんだろうと気にかかっていました。
------------------------------------------------
(以下、飯島秀行著 自然が教える農業のお手本 より抜粋)
肥料成分とは、肥料波動の事です。
肥料波動とは、どのようなものか、と言いますと、その植物を構成している、
微生物振動の事です。
微生物の運動波動です。
顕微鏡で植物のエキスを見ると、無限無数に微生物が動いています。
その微生物の動く振動が、エネルギー(栄養)を、呼び込むのです。
更に言えば、エネルギーは自らの周波数を、その微生物振動周波数に合わせて、
自らを注いでいるのです。
目に見えないエネルギーは、目に見えない微生物にしか引き込む事は出来ない
のです。
ここにピアノが在るとします。
このピアノ自身に音を出す能力は、全くないのです。
このピアノの鍵盤を叩くと音が出ます。
鍵盤の先には、ピアノ線と言う微生物で出来ている、鉄線が付いています。
その鉄線と言う微生物に振動を与えますと、振動を与えられた分、微生物は
活発に動きます。微生物が活発に動いた分、エネルギーはその鉄線と言う微
生物に注がれるのです。
鍵盤を叩くとは、鍵盤に肥料成分を与えた事と、同じ事なのです。
肥料成分に成長させる力が全くないように、鍵盤を叩いても、音が出るもの
ではないのです。ピアノ線の振動が、エネルギーを呼び込んで、エネルギーが
音として出ているのです。
植物の成長とピアノの演奏のメカニズムは、全く同じなのです。
ギターと言う楽器一つを取って見ても、低価格な物から高価格な物までまち
まちです。どこに価格の違いがあるのでしょう。
安いギターに使われている板は、微生物が少ないのです。
微生物条件が少なければ、エネルギーを呼び込む力も低下します。
エネルギーを呼び込む力が少なければ、音色も悪いのです。
質の良いギターは、質の良い素材を選んで組み合わせて作ります。つまり、
微生物を選んで、微生物をたくさん集めて組み立てる、と言う事です。
ギターに多くの微生物が存在していれば、一つの振動で多くの微生物が動き
ます。多くの微生物が一度に動けば、多くのエネルギーを呼び込めます。
だから共鳴音が美しいのです。
言い方を変えれば、音の成長が早く、健康だ、と言う事です。
植物にも全く同じ事が言えます。
ギターの板を土壌に置き換えて言えば、土壌に肥料と言うエサを与えると、
土壌菌は喜んでエサを食べ、土壌菌は増殖します。
土壌に微生物が増えた分、エネルギーが注がれるのです。
エネルギーが注がれた分、植物は、成長するのです。
原因である畑の土壌菌と、結果である植物を構成している菌は、同種類の
菌なのです。
だから肥料に必要な植物微生物を加え、微生物条件を畑に撒く事が、エネ
ルギーを取り入れる事に繋がるのです。
肥料成分とは、植物がエネルギーを呼び込むのに必要な条件なのです。
厳密に言えば、土壌菌がエネルギーを呼び込んでいるのです。
土壌微生物が増えた分、植物は成長するのです。
土壌と植物は、一体なのです。
土の健康は、植物の健康であって、植物の病気は、土の病気なのです。
土壌の条件不足が植物に現れるのです。
だから昔から、土作りは大事だ、土作りが基本だ、と言われているのです。
(抜粋終わり)
------------------------------------------------
農家さんは、結果である野菜だけを見ていた見方から、
土壌という原因に目が向いた、だから、
180度変わったと言ったのだろうと思います。
飯島さんは、音ってどうして出るんだろうと、まじめに
考えたのです。すごいことだと思います。
生前よく、「これもこうだから、あれもこうだ。
たった1つの宇宙法則をベースに考えれば、解けないことはない。」
と言っていました。
そして、「宇宙の法則が、ある。ではなくて、宇宙の法則しか、ない。」
と言っていました。
「余計な知識が多すぎる」とも・・
目の前に現れた現実は結果。
結果には必ず原因がある。
原因と結果は一体。
「三つ子の魂百まで」という言葉がありますが、
飯島さんは、その意味を
「3歳の子供のような素直な心を生涯持ち続けよ」
ということだと教えてくれてました。
3歳の子は、どんなことにも興味を示し、なぜなぜと質問します。
飯島さんは、常になぜ?という心を持ち、原因を「自問自答」して
「解いて」いました。
飯島さんは聖者というのは、髭を生やした杖をもっているような人ではない
と言っていましたが、
飯島さんの考え方そのものが聖者の考え方だったと、亡くなってから気がつき
ました。
飯島さんの生前、いろんな方が、飯島さんの技術を継承している人は
いるのか聞いていました。それを聞き、一緒にいる私はいつも心苦しく
思っていました。それで、ある日飯島さんに「私も物作りをしたい」と言ったことが
あります。すると、飯島さんは、「それはお前の仕事じゃない。
そんなことをしたいんだったら、今すぐ辞めろ。
お前は、俺の背中だけ見ておけばいいんだ」と言いました。
今になって、その意味がわかります。
飯島さんは地水火空風と言われる分野全てを実践し、結果を確認してきました。
(農業、水、フリーエネルギーモーター、飛行機、風車・・)
しかし、伝えたかったのは、原因の世界です。
いくら、物理的に結果の世界を切り刻んでも、意味がないと言っていました。
飯島さんみたいに、いつも命がけで肉体を顧みず、これだけのことを
実践している人はそうそういないと思います。
しかし、どんな人でも原因の世界を意識することはできます。飯島さんは、「簡単なこと
だけど、皆わからないんだよ」と言っていました。「自分が死んだらわかる」と・・
解く(とく)ことは、他の動物にはできない人間の特権だと思います。
徳(とく)を積むということは原因に意識を向けることなのかなと、思います。