精神というものは、それが真に伸びるためには、
必ず何らかの意味において、一種の否定を
通らねばなりません。この否定という浄化作用、
すなわち自己反省というものを通らずに
伸びたのは、精神としては、真に伸びた
のではなて、かえって度の過ぎたものとして、
結局欠点となるわけです。すなわち、人間の
性格上の問題としては、自分の欠点を反省して
これを除くという努力が、じつはそのまま
長所を伸ばすことになるわけです。
すなわち精神界にあっては、長所と短所は
別物ではなくて同一物であるが、ただそれが、
反省によって浄められるか否か、ただそれだけの
相違に過ぎないともいえましょう。
〇
そもそも世の中のことというものは、
真実に心に願うことは、もしそれが、単なる
私心に基づくものでない以上、必ずやいつかは
何らかの形で成就せられるものであります。
このことは、これを信ずる人には、必然の真理
として実現するでしょうし、これを信じないもの
には、単に一片の空言として了るのである。
総じて人間界の真理というものは、こうした
ものなのです。われわれ人間は、その人の
願いにして真実であるならば、かりにその肉体の
生きている間には実現せられなくても、必ずや
その死後に至って、実現せられるものであります。
否、その志が深くして大きければ、その実現には
時を要して、多くはその肉体の死して後、始めて
その実現の緒につくと言ってもよいでしょう。