暮れてゆく年 令和三年

 思い出深い年となった令和三年、いよいよ押し迫りました。使わせていただいてから26年になる年間手帳。その今年用の「天風手帳」を3月に東京で紛失、が始まりの年となりました。再び手帳を買い求めましたが、新しい手帳には1月~2月の記述が空白です。全部の予定を手帳に書き込む習慣が続いていたので、手帳紛失はもっともこたえていました。毎年2回ほど開催されるフランス料理の講習会に参加。その帰途いつものように酔っぱらう癖が、トートバックとのお別れをくれました。

 東京の在来線の駅に置き忘れたバッグは2週間たっても戻らず、すべてのものはなくしても大丈夫でしたが、手帳は・・。バッグの中にあった2冊の書物「沙門空海 唐の国にて 鬼と宴す」と「小説 中江藤樹」も、もう一度購入することに。ですがこのバッグ紛失事件は何かを示唆していると強く感じさせました。

 一つは深酔い駄目よ。!(笑)
 一つは「空海を追え!」と聞こえました。
 一つはこの国の唯一の聖人中江藤樹の学びです。

 少し遅れた3月からが今年の本格スタートです。

 江戸時代初期の学者「中朝事実」の山鹿素行と
聖人「中江藤樹」の弟子であった熊沢蕃山を
間違えた勘違いが、中江藤樹に深く入るきっかけを
与えてくれました。

滋賀県大島市にある「藤樹書院」で今現存する
藤樹の魂に触れ、魂が打たれました。
さらには藤樹の最後の任官地であった愛媛県
大洲市の大洲高等学校の中にある、藤樹の住まいあと
「至徳院」を訪問します。
実はこの「至徳院」の命名者は西普一郎氏であり、
心の師である森信三先生の高等学校時代の師であったことを
後に知ることになるのです。

少し話はそれますが、政治家西村眞吾氏が森信三先生と
西普一郎氏、そして森先生の京都大学時代の師であった
西田幾太郎氏に関することで寄せた文章があります。
ここには森先生の国についての強い精神と人に対する
洞察力の鋭さが溢れています。
西村眞吾氏は尖閣諸島に上陸した骨のある代議士さんです。

森信三先生の御恩に深謝し、日本の真の憲法を掲げる

そして熊澤蕃山ではないですが、「竹炭」の熊ちゃんの
住まいする大洲市の山中の場所の訪問も叶いました。

中江藤樹の学びは熊ちゃんとの邂逅をも
いただけたことになります。
この国には聖徳太子、空海、法然、親鸞、道元、日蓮、
白隠禅師などの偉人は多数存在しましたが、聖人と
呼ばれたのは「近江聖人」である中江藤樹ただ一人。
藤樹に関するさまざまな逸話は藤樹が聖なる人と
よばれるにふさわしいものと感じさせます。

 そして空海について。
1995年ですから、今から26年前に、わけも知らず
四国の剣山に登りました。ただ誘われるままにです。
剣山のことはまるで知らずにいましたのに。

そして剣山のお祭りの日でもあったその日、山の途中まで
へのリフトの上でやはり魂が震える体験をします。
記憶がくれたむせぶような涙に人間は一度きりではない
人の生を生きるのだとの確信が持てたのです。

それからは空海と剣山の謎。
四国88か所めぐり。
平安京とエルサレム。
天皇家とイスラエル。
ダビデ王朝の古代イスラエル12士族。
旧約聖書の学び。
そして高野山。

などなど多くの興味がさまざまな学びへと
いざないました。

友人からのお勧め
「沙門空海 唐の国にて 鬼と宴す」
絶対読んでくださいね!」のお言葉が
さらなる方向へと導いてくださいました。

空海は平安京の守護、イスラエルの神宝の保護など
主に祭祀をつかさどる阿刀家の血を受け継いでおり、
さらにこの阿刀家の前身はニギハヤヒでありそのニギハヤヒは
古代イスラエルのレビ族の末裔であったようです。

ゆえに空海は自分が古代イスラエルのダビデ王朝の血である
ことをよく承知しており、唐の国へ出向いたのは
もちろん密教の学びであり、また自分の出自についての
古代イスラエル民族の調査であったと感じるのです。

詳しくは
空海と阿刀氏の関係を検証
に解説があります。

だからどうしたの?って言われそうですが、
昨今の天皇家についての話題や、この国のあちらこちらで
以前の天皇家の末裔の方々が世の中でさまざまな
ご発言をされ、あたかも天皇家の存在について
いろんな憶測が飛ぶようになってきたのは決して
偶然ではなく、まさに今この時の必然ともいえるのでしょうか。

さて天皇家は古代イスラエル王朝の
末裔と言えるのでしょうか。

お話は飛びます。
高野山はこの国にとって特別な場所。
「いつかは高野へ」と言われ、偉大な盟主たちは
高野山での供養を望んでいます。

高野山にほど近い場所に「天河弁財天」があります。
そしてそのほんの近くに「後醍醐天皇」の御廟があります。
以前、天河神社で「ガイアシンフォニー」の上映会と
ウォンウィンツァンさんやスーザンオズボーンさんなどの
演奏会があった翌日、その御廟をたずねました。
御廟への道の左側にある低い木々の中のたった一枚の
葉のみが手招くように揺れていました。
ゾゾッーとしました。

南北朝時代の南朝の本拠であった高野。
南朝と北朝の天皇家の争いであった「戊辰戦争」。
いまでも三種の神器を持っている南朝こそが
天皇家の本家だと言われる現存する方もみえます。

今、実は南朝であるのか、または北朝であるのかの
議論は別として、「うしはくくに」の支配機構である
西洋と「しらすくに」の情報を共有し君民一体で国の
繁栄を願うこの国との違いが今こそ明らかになる時。

君の「オオミココロ」が民である「オオミタカラ」と
一体となってすべての人々が「オオミココロ」を
発揮し今の西洋発祥の「コロナ」現象を次世代への
ステップにすることがこの国に生きる人々の使命だと
感ずるのは自分だけでしょうか。

この暮れに「マイコード」を見てもらいました。
つばによる遺伝子から、祖先の流れを予測します。
人類発祥の地といわれるアフリカを旅立ち北上。
エジプト、チグリスユーフラテス川にいたり、大陸を東へ東へ。
インド、ミャンマー、中国、台湾、沖縄そして
日本へ。

思えばみんな今生にて旅した場所ばかりでした。

「人間は決して一度きりの人生ではない」

知識での理解は限界があります。
体験での理解はその方のもの。

そして魂の震えこそが真実との確信です。

今年のすべてのご縁に感謝して、ご縁ある
みなさまに素晴らしい来年の光が
そそがれますように、
深く、心から祈念申しあげます。

ありがとうございます。