動かないと発生しない。やっぱりそう感じる。23日夜はプライナスライブが鶴舞公園近くの中央線高架下の多目的空間である「KDJAPON]というお店であった。めずらしく応援の要請が始めてといってよいほどであったので、家族ででかけた。夜8時頃にお店に着いた。 プライナスファミリーがお店の外のテーブルにたむろしている。カレーや飲み物がテーブルにある。「お父さんこのカレー めちゃおいしいですよ。」と風邪引き リサちゃん。 |
ガラスごしに中を見ると、沖縄風の唄を若い女性2人がヂュオしていた。このお2人の唄が終って休憩。その間に店内に入る。
天井は高架のコンクリートがむきだし、高い天井だ。一部2階がつくってあって、らせん階段を上ったそこが特等席のような感じ。
飲み物を注文する厨房カウンターの前には列ができている。
飲み物やカレーなどの注文を受ける女性はかろやかに流れるミュージックにあわせて体をくねらせる。愉快な軽さ。
そして料理を作ったり、飲み物を用意したりしている作衣すがたの長髪で後ろで髪をたばねた男性がどうも店長さんらしい。なんだか楽しそうだ。
演奏は次の「キャラメルマン」さんに移った。
真っ赤な衣装で、派手なボデイートークと電子音で場内を沸かす。
今人気が出て来ているという人。
まったく自分の世界を確立している。
これまた愉快。!
そして今日のトリは「プライナス」。
前、後半の2度にわけて約一時間みっちりひさしぶりに聴くことが出来た。
演奏中の背後の壁には、映像プロの山田さんの製作した映像が終始流れていて、
いつもと異なり、プライナスの演奏を一層引き立てていた。
そして最後の唄「こころのうた」が終ってアンコール。もちろん叫ぶのはお父さん。(笑)
なんと始めて「ユメノオンド」。
またショボショボになっちゃいました。
ファーストアルバムを始めて聞いた車の運転中に、心を揺さぶった3つの唄。
それは「幸せの種」「ユメノオンド」「レデイーバード」だった。
その「ユメノオンド」は単純なメロデイー。歌詞がどうってわけでもない。
だがふしぎに胸が詰まってしまう。
ファーストアルバムではヒロが歌っていた。
今日はマミ。
なんだかなつかしくて新鮮。
ありがとうヒロ。
演奏が終って、店主の男性と立ち話。
彼は舩橋一華(ひとはな)さん。
プラスワン、セアロ、イチローなどなど繋がる名前がどんどん。
しかももっと驚いた。
彼のパートナーでバリ舞踊の先生は、以前伊路波村でバリ旅行した時宿泊させていただいたあのサンカルアグン村のミスタースエントラさんともご縁が深く、やはり彼の家に滞在したこともあると聞いた。
ヒトハナさんは画家でもあるし、バリ舞踊の貴重な男性ダンサーでもある。そして彼のホームページにもみられるように、人生を深く追求する人でもある。
むかし書いた「つぶやき」を引っ張りだしてみる。バリでの幸せな時間。同行者の笑顔。不思議な写真が脳裏に蘇る。
また今日、この高架下のお店で出会えた人々。
不思議なご縁に手を合わせよう。
ありがとうございます
「ひとはなさんホーム」
http://www.interq.or.jp/world/rridechi/
「ケーディーハポン」
http://www2.odn.ne.jp/kdjapon/
2004年年明けから名古屋鶴舞でスタートしたスペース。私も含め多くの仲間たち、そこにやって来る人達と共に創り上げられていく「空き地」的スペース。「人はみな、アーティスト・いのちの輝きこそがアート」をテーマに、心のつぶやきから様々な表現活動を支援する。通常はお茶や飲食で皆様をおもてなししております。
Sekar Sari バリ舞踊グループ 「スカル サリ」
http://homepage1.nifty.com/sekarsari/
名古屋を中心に活動している、バリ舞踊グループ「スカル・サリ」。主宰のYUMIは、現地バリでもガンダ・クマラ舞踊団の一員として踊り、教室を開催している。私舩橋一華は、このグループ唯一の男性踊り手です。
「つれずれなんでも」から
◆ジェゴグ ~巨大竹筒のひびき~ 2001.2.21
雨季のバリ島を訪ねる旅も終盤のハイライトにさしかかった。
2月初旬。バスはスコールとなった山道を一路、巨大竹筒ガムラン〝ジェゴグ〝の故郷、サンカルアグン村にむかっていた。
サンカルアグン村はバリ島の南岸より西方に車で1時間ほど。ジャワ島を望む位置にある。海岸沿いにつらなる豊かな棚田は日本のそれを思わせる。くもっていた空からさんざめく太陽の光。進行方向右側に浮かぶ真半円の素晴らしい虹に一同が喚声をあげる。
よくきたねと歓迎してくれているかのようにおもう。
サンカルアグン村に到着。伊路波メンバー11人とバリ在住の2人の女性(T子さんの友人)と共にガーデンパーティ。
夜になった。お昼に降った雨に濡れた中庭でジェゴグの準備と客席の準備が始まった。竹筒の先を切ったものを並べた。シロホンのおばけのような巨大な竹筒が20台ほど4列に並ぶ。
演奏が始まった。宇宙のかなたから聴こえてくるような音にじっときいていられなくて。一番後列の真中の楽器の下にもぐる。ああ 魂がはずれそうに行きたがる。
生の音がつたえられなくて残念・・・。
今日宿泊させていただくこの家の頭主はミスター・スウェントラ。大阪万博で奥さんの和子さんと知りあった。53才。日本にも何度も演奏にきてみえる世界一のジェゴグのリーダーだ。
そして和子さんはバリ島で初の日本人妻だとか。
「日本での演奏のおかげで道も舗装できたし、橋もできた。自分は週に3日このサンカルアグン村に、都市デンバサールには4日いる。この村は日本の40年前と同じ都市化を好まない。3km四方のこの村の人たちはどこかバリ島のほかの人々とちがう。昔から継いできた血がみんなで助けあうことを知っている。この村はいい人たちばかりだ。お金はなくても3ヶ月はみんなが助けてくれるよ。」と涙ぐみながらのお話だった。
そういえばバリに降りたったときの感じと、この村に近づいてきた感じが異なった。朝は5時半からハタを織る奥様たち。そして男は田んぼにでかけている。散歩で出逢う人々はとても陽気だ。女性は15才で嫁に行き、男性は17才で嫁をもらう人もいるらしい。
平均寿命52才をひとつ超えたミスター・スウェントラ。この方は村のというより、バリ全体の心のリーダーのようにも思える。バリ島に初めてヒンズーダルマ教が伝わった1219年のその地がこの家だったとは再び驚く。そして彼は、デンバサールの大学で学生に教鞭もとっている。
バリ島の自然が人と共に守られますように。スウェントラさん、お世話になった皆さん。村のひとたちみなさんお元気でと祈りながら、私たちは朝のサンカルアグン村を後にした。
こんな素晴らしい出逢いをいただけたT子さんには感謝してもしきれない。
またくるよ、またきたいよと叫びたいような11人の旅だった。