2623「縄文スピリッツ」2022.3.1  自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年02月25日の記事を紹介します。

「縄文スピリッツ」

今世界を見渡せば、最終戦争のような様相を呈しています。

地球の進化にそぐわないものがあぶり出され、

まさに魂の振り分けが行われているような状況です。

そのような中で、ますます希望の光となるのが、

神々が地政学的に何万年もかけて育て、

日本人のDNAの中にしっかりと根付いた「縄文スピリッツ」かもしれません。

物理的な戦力やパワーはなくとも、その真の日本人の精神性は、

例えば羽生選手の例のように、世界中の人々の胸を打つものがあります。

戦後この力を恐れた占領軍の敗戦処理によって、

日本人の精神性は一見、切断されたかのように見えますが、

1万年以上の文化に培われたそのDNAは、

そう簡単に破壊することはできません。

文化は異なっても、

同じ神様からの神聖火花を頂いている人類同士、高い倫理観と、

神々とともに生きてきた、その生きざまは、世界中の魂の共鳴を起こすのでしょう。

今日はそんな日本人の心に眠る「縄文スピリッツ」のお話です。

日本人には、はるか縄文の時代から、1万年以上も続く、ものの考え方の基本があります。

自然を敬い、全ての物にスピリッツ、魂を感じ、大切にするという、いわゆる古神道の考え方です。

そこでは、神々はもちろん、死者でさえ敬い、

その幸せを願い、喜んでいただくことこそが、

生きている私たちの幸せに繋がると信じられてきました。

このような考え方、生き方こそ、私たち日本人のDNAに息づく尊いものであり、

まさにそのことにより、日本は世界のひな型と言われるようになりました。

2011年には、神々に近い魂として、破壊の時代の予行演習がなされました。

今の時代はまさに、私たちのDNAの中に眠る、縄文のスピリッツの遺伝子をONにする時代が訪れています。

私たちの祖先の縄文の時代は、1万5千年間も日本で続いた平和な時代でした。

その時代には、争いの形跡が一切見つかっていません。

争い、いさかい、過度の所有意識が始まったのは弥生時代からです。

つまり弥生族が大陸から日本に渡って来てからのことになります。

どうして縄文人は争いをしなかったのかというと、

その理由は、縄文人は外に「神」を作らなかったからでした。

「神」は人それぞれの「自分の中にある」と信じて、

お互いの「神」を尊重しあったからです。

自分の中の「神」が尊重されるには、相手の中の「神」を尊重しないといけません。

このように、すべての対象のうちにある「神」を尊重しつつ、

自分のうちにある「神」に感謝した時代が縄文時代であり、

古神道の基本的な考え方でした。

これは、まさにブッダグループが、人類の精神性の進化のために、

時を超え、今の時代に、取っている方法論と全く同じです。

まさに縄文回帰、「縄文の心を取り戻せ」のスピリット。

これこそが、私たちが、私たち一人一人の心の中にこそ、

神さまを見出し、お互いを尊重し認め、助け合い、

お互いさまの気持ちで生きて行く、精神的な支柱となります。

今の時代に言われている「国常立尊の復権」とは、そう言う意味を持っています。

地上の変化は、まず目に見えない世界で起こります。

上なる如く、下もまた然り・・です。

そして神々は、人間の精神性の復活を通じ、この地球を変えて行きますが、

その変化は、多くの人が期待するような

・派手で、

・ドラマチックな、

・天変地異のような

やり方ではないと思われます。

大事な物は見えない・・・

いつの世でも、やり方は同じです。

単なる好奇心を満たすような、人目を極端に引く、

サーカスを見せるような方法は取りません。

地味ですが、着実な方法です。

私たちのハートの中には

・先祖を大切に思う敬心

・死者の幸せさえも願う優しさ

そして、生きている人々に対する、

・お互いさま

・お陰さまの心

相手の個性、尊厳を大切に思う、温かな心、優しい心でありました。

ただ、明治の文明開化、戦後の敗戦処理によって、

その大切な心が強制的に、忘却させられていただけです。

その美しい神のような心を取り戻せば、

きっと、気付いたら、いつの間にかミロクの世が始まっていた・・ 

そのようになっていることでしょう。

今は、建て替え、つまり破壊の時を過ごしていますが、

これを耐え忍べば、いよいよ美しき世界への建て直しの時期です。

希望を持ち、周りの人々と助け合いながら、

笑顔と感謝の気持ちで暮らしていれば

きっと、その美しき世で暮らすことができるでしょう。