2685「それしか起きなかった」2022.5.2 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年04月25日の記事を紹介します。

「それしか起きなかった」

私たちは、よく後悔します。

・あの時、こうしておけばよかった

・あの時、あんなことをしなければよかった

・あの時、別の道を選べばよかった

それは、今の状況が不満で、不安で納得できない時に、

過去のことを悔んでしまいます。

今が幸せいっぱいだったら、後悔などしません。

ですが、その後悔は、神さまの仕組みから見たら、少し違うようです。

さて、今日も、読んでくださる方に、勇気と安心を、感じていただきたくて書いています。

もし勇気が湧いた心、安心した心が得られたら、周りのご家族に、笑顔を向けて下さったら、とっても嬉しいです。

今日は、「人生のシナリオは、決まっている」というテーマなのですが、 小林正観さんの講演会の話し言葉の文章が公開されており、とても分かりやすく、心に響くものだったのでご紹介させていただきます。

<転載開始> 転載元  

一応、簡単な結論を言っておきますと、どうも人間の未来というのは 確定的に 決まっているらしい。

私たちは学校教育で、「為せば成る、為さねばならぬ 何事も・・・」努力が足りないからできないんだ、自分が目標を持って必死な思いでやれば必ずそういうふうになるんだ。

というふうに教わってきたんですけど、どうもそうじゃないみたいですね。

努力をしてもしなくても同じ結果になるのか、っていうとそれはまたちょっと違うんですけど。

その人が生まれ育った家庭環境で、努力を続けてその通りになるっていう、そういう シナリオを書いて生まれてくる人がいれば、家庭環境によってはまったく努力をしないっていうシナリオを書いて生まれてくる人もいます。

努力をしたらこうなるというシナリオを 書いているか、

努力をしないでこうなるという結果を書いているか、

というどっちかである。

すなわち 生まれた瞬間に、もう死ぬときが決まっている、ということです。

死ぬときが決まっているということは、生まれてから、死ぬまでのシナリオが全部決まっている。

今は過去の集積である。ある投げかけや、動きや行為行動をしなければ、次の動き、行為行動にはならないということ。

自分の 投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくる。という法則があります。

投げかけたものとは

・優しい言葉

・勇気の出る言葉

・思いやりのある言葉

・お互いさま、お陰さまの心

・笑顔

その逆に、

・罵詈雑言

・悪口

・疑心暗鬼の心

・自分さえ良ければの心

・憎しみ

様々ありますね。

その人の今の現実を見たときに、みなさんは過去の姿を推定することができますね。

超能力ではなくて、現在の現象を見ていると、過去の現象を、読みとることができます。

そして、現状を見ると、過去が推定できますね。現状を見ると、未来が推定できますね。

そういうふうに因果関係が作られています。過去の言動を見れば、今の自分が見えてくるし、

今の自分を見れば、未来の自分を予言できます。

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくるという、この法則を知るということもまた、生まれる前にシナリオとして準備されていた。

こういうことを知らずに 人生を終わる人もいる。

こういう因果関係を知るというのもシナリオなんですね。 

今日この因果関係を知って、「ついに分かったぞ」という人もいるわけです。

そうか、 そういうことで自分の人生は成り立ってきたのか、じゃあこれから自分の人生を 誠実に正直に生きていこうと、決めたときに人生は一転するんです。 

それじゃ、そう決心したことで昨日までの人生とまったく変わったじゃないか?

シナリオが変わったじゃないか?

ということになるけれども、変わるっていうのは、本人がそう思っているだけで、

実は宇宙的にそのシナリオ、つまり、その時、変わる決心をすることも、

そのようにシナリオが書かれていただけなんです。  

私はしゃべる立場で、

2月9日に皆さんの前でしゃべらなくちゃいけないってことになっていて、吹田の会場でこういう話を聞くはめになっていたというのも、みなさんのシナリオなんです。 

自分が気が付かずに投げかけてきた事の集積として、そういう状況に囲まれているだけです。面白いですよ、

その因果関係というものが分かってくると、

じゃ今日からこうすれば いいじゃないっていうのが自分の中で分かってきます。

人間のすごく生きやすい、生き方というのを一言で言っておきますと、

誠実に生きるということです。

馬鹿正直に、愚鈍にっていう言い方もあるんですけど。 これが王道です。 

自分の投げかけた結果として、現在がある。

今投げかけている結果としての未来があるっていう ことが分かってくると、過去と現在と未来が、ドミノ倒しのように一列に因果関係で並んでいるということが分かるんです。

そう考えると、そのドミノ倒しの因果関係の結果として、ある時に死を迎える。

ということは、その通過時点であるひとつひとつのことも、全部予定通りである。

という結論になってしまうんですね。 

未来的なものというのが、自分が生まれたときから死ぬときまで、過去のことも含めて、

未来的なことも含めて、全部シナリオが 書かれているらしいと思ったら、

もう過去のことについて何を悔やむ必要もないんです。

人生は今をどう捉えるかの訓練である。 

過去のそのときに選んだ選択は、全部シナリオ通りであり、最善のベストの選択であった。

皆さんには受け入れにくい話かも知れませんけど、

自分が書いたシナリオで現象が どうも全部起きてくるみたいです。

だから、過去のことについて、悔いたり後悔をしたりする意味がない、

ということを一応皆さんに言っておきます。

過去のどんなことも、

あの時ああすれば「ああできたらよかったのに」っていうことは一切ない。

全部そのとおりになっていた、 それしか起きなかった、そこしか選択の道はなかった。

そして全部自分がシナリオを書いて 出てきたんだっていうことが解ると、

未来的にこんなことが起きるんじゃないか、こんなことが起きたらどうしようって

心配することは無意味だということを申し上げておきます。

今、この瞬間から皆さんは、自分の人生に、なんの心配も懸念も持つ必要はありません。 

全部自分がシナリオを書いた。

そしてそのひとつひとつの事件について、自分がどう捉えるかの訓練

を今生(こんじょう=この世)でやっている。

捉える訓練の70年、80年なんです。解りますか?  

だから目の前に楽しい思いをして楽しかったというのは、人生の達人からすると初級なんです。

そして、普通に目が見えること、呼吸ができるというような、誰もが喜ばないような、

当たり前のことに喜べるようになった人を、人生の達人の中級者といいます。

そして、病気だとか 事故だとか、いろんなトラブルだとか

艱難辛苦(かんなんしんく=人生でぶつかる困難や苦労) だとか

いうようなことに対して、さらにそこに手を合わせて嬉しい幸せ、

ありがとうと言える人を人生の達人の上級者と呼びます。

私たちは自分の人生を自分でシナリオを書いてきているんですよ。

その目の前に起きてきた現象についてどう反応し、どう評価するかってことを死ぬまでにやっていく。

死ぬときまでにこういう話を聞かないで、 つまらないとか悔しいとか、

頭にきたとか言いながら死んでいく人がたくさんいるんです。

人口の99.999999%はこういう話を永久に聞かないまま死んでいくんですね。

過去も未来もない、あるのは今だけ、今日寝て起きたら、いつですか? 

今日寝て起きたら明日って答える人が けっこう多いんですけど。

今日寝て起きたら今日。今日なんです。

明日って永久に来ません。実は明日という日は永久に存在しないんですよ。

私たちは、長い時間経過の中で、明日も明後日も生きているように思うけれども、

実は今という時間しか生きていないんです。

四次元的な話をしますけど、私たちの目の前には過去も未来も存在していません。

存在しているのは現在、今この瞬間 瞬間の刹那だけ。その刹那の連続しかない。

だから未来を心配することは無意味だ、

過去のことを心配し、悔いることも無意味だということです。

そんな暇があったら、今目の前にいる人を大事にしなさい、ということだけなんです。

人生はものすごくシンプルで、過去のことを心配する、悔やむ。

未来のことを 一所懸命どうやって正しい道を選択しようかっていう人は、

正しい道を模索しているのかも 知れないけど、そういう生き方ではなくて、

今、目の前の事と人を大事にしてゆけばよい。

私たちが考えることは、念を入れて生きるっていうことなんです。

念という文字は、「今」の「心」と書きます。

念じなさい、念じなさい、そうすれば未来は自分の思うとおりになりますと、自己啓発セミナーなどは教えるんですけど、念じることによって未来が自分の思い通りに なりますかってことは、この念という言葉の中にはまったく存在しません。

なぜそれが言い切れるかっていうと、今の心としか書いていないからです。

今、目の前の事と人を大事にすること、それが念を入れるってことです。

簡単なことなんです。

だからさっき言った過去のことの集積として現在がある、その現在が自分にとって

心地よくないのであれば、それを評価論として悔いる暇に、そんなエネルギーと時間と暇があったら、輝く未来をつくるために今、目の前の事と人を大事にする。

私たちは人生をどう生きていくかってことについて、ああだこうだ考えることは全然ない。

今、目の前の事を大事にし、目の前の人を大事にする、それの積み重ねだけ。

それしか私たちはできないということです。

それ以外に過去に参加することはできない、昨日の人を抱きしめることはできない。

明日来る女性のことを抱きしめられない。

今、目の前にいるひとだけを抱きしめることができる。

そういうことです。

人生がこれほどシンプルで楽であることを分かってしまうと、

なんにもエネルギーを とられる必要がないから、

目の前の事と人とを大事にしていけばいい。

今の心とは、今目の前の人を大事にし、目の前の事を大事にすることです。

学校教育の中でも、「がんばれがんばれ、未来を自分の力でつくりあげなさい」って 教えられるけれども、未来のことは考えなくていい、未来のことを考えて心配している暇があったら、今目の前の人と事を大事にするだけ。

私たちの目の前にある人生というのは、今しかないんですね。

<転載終了>

凄く力強い、勇気が出る言葉ですね。

ブッダも同じことを仰っています。

縁起の法則や、刹那の説明に出てきます。

もし、心に響いたら、時々思い出してみてください。

投げかけたものが倍になって宇宙から返ってくること・・

温かい言葉を投げかければ、温かな言葉をかけられます。

笑顔を向ければ笑顔が帰ってきます。親切にすれば、親切にされます。

傲慢な態度を取れば、傲慢な態度で返されます。

今、現在の態度、行動を変えれば、必ず未来が変わってきます。

今目の前の人、物を大切に、誠実に生きるということが、一番大切なこと・・