奥の院通信から R5 6/25 「戦争屋の軍産複合体」

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イギリスは17世紀以来、常にヨーロッパ大陸を戦争に巻き込んできた。

 1914年6月28日、オーストリア皇位継承者フランツ・フェルディナンドがサラエボで暗殺された。この事件をきっかけにヨーロッパ大陸諸国の混乱をがおき、これを煽ったのが当時のイギリスだった。ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世とロシア皇帝ニコライ二世の皇后アレクサンドラの祖母は、ともにイギリスのビクトリア女王であった。

 奥の院の書く正統派歴史上には書かれないが、ヴィルヘルム二世とニコライ二世は懸命に戦争を回避しようと努力していた。その動きを妨害したのはイギリスだった。清教徒革命でイギリスは奥の院・ディープステートに乗っ取られていたので、実際は彼らが妨害したのである。

 一方、ロシアにはラスプーチンという人物がいた。
 ニコライ二世の世継ぎアレクサンドル王子は、ビクトリア女王由来の遺伝子を引き継ぎ、かれは血友病で苦しんでいた。ラスプーチンはこのアレクサンドル王子の病気治療に「祈祷」治療で「効果」をあげ、ニコライ一家の寵愛を受けていた。祈祷僧がラスプーチンと呼ばれていた。

 ところが、正統派歴史書では、ロシア皇族に近いエリート貴族にこのラスプーチンは殺害されたことになっている。しかし、ラスプーチンのとどめを刺したのはMI6(イギリスの対外諜報機関)のエージェントであった可能性が高いことが判っている。このことはイギリスBBC放送が認め、ドキュメンタリー・フィルムを放映している。

 イギリスが何故、ラスプーチンを殺したかったのか。実は当時、彼は対独戦争は避けよ、よくない事が起きると、ニコライ二世やアレクサンドラ皇后に説いていたのである。
 ラスプーチンはとりわけアレクサンドラ皇后の篤い信頼を受けていただけに、イギリスにとっては彼は厄介な存在だったのであった。実際は、「イギリスにとっては」ではなく、戦争屋の軍産複合体にとってはと言うことである。

 ドイツとロシアの衝突を望む戦争屋の軍産複合体(イギリス)には、このラスプーチン殺害の動機があった。たまたま、当時イギリス海軍大臣であったウィンストン・チャーチルは自身の管轄する海軍を使い、戦功を立てたかった。
 チャーチルは、ヨーロッパ戦争非介入が多数派であったアスキス内閣の外交方針をロシアとドイツとの紛争への「介入止む無し」に変更させ、イギリス国民に反独意識を煽り、結局イギリスを参戦させた。ここでは、ウィンストン・チャーチルは「イギリスの闇」の象徴である。

 第一次世界大戦はイギリスが介入しなければ、大陸諸国の間で何らかの妥協ができていた可能性が高かった。しかし、ここで纏まる話を潰したのはイギリスであった。
 そして、第一次世界大戦が勃発した後も、ドイツは繰り返し休戦を提案している。しかし、イギリスはその提案も拒否し続けた。その時も拒否した理由は戦況がイギリスやフランスの協商国側に有利でないから、というものだった。早い時期に休戦交渉していればアメリカの介入を招くこともなく、戦争当事者間で徹底的に詰めた交渉が可能だった。

 そうした交渉での合意がなっていれば、その後のベルサイユ条約による民族分布に配慮のない、いい加減な国境の線引きなどはなかった。しかし、このベルサイユ条約の「でたらめな国境線引き」についても、正統派歴史書は書かない。

 さて、このイギリスの愚かな外交スタイルは、現在起きているウクライナ戦争においても変わらない。これはボリス・ジョンソン首相の愚行でも明らかである。イギリスの態度は、インド系の新首相リシ・スナクになっても一向に変わらない。それは表にいるジョンソンやスナクがこの政策を決定しているのではなく、あくまでもディープステートが決めているのであるから当然のことである。

 イギリスは「ロシア・ウクライナ両国が交渉開始するには時期尚早であるという。ウクライナ側の要求が認められる戦況にない。徹底的にウクライナへの支援を続けて、ウクライナの交渉に有利な展開を作るべきである」という立場を崩していません。つまり、もっと双方に戦争を続けさせるというのである。
 イギリスは戦いが続くことで死ぬことになる両国兵士や、戦いの継続によるウクライナ国民の苦しみ、インフラ破壊が続くことには関心がない。

 そして遂に、去る3月、イギリスは対戦車用劣化ウラン弾をウクライナに供給した。ウクライナに戦争継続能力を付けさせたのである。いつの時代も戦争屋の軍産複合体、ディープステート側の変わらぬ悪事が続く。奥で差配しているワルが何時の時代も変わらないからである。
 殆どの視聴者は劣化ウラン弾について知らないと思います。