あの日の空は青かった 040818

「あの日の空は青かった」 輝楽村 [2004年08月18日(水)]
★* あの日の空は青かった。 輝楽村  「風の子守唄」から
あの日とは、昭和二十年八月十五日、終戦記念日のことです。
来年は「戦後」も満六十歳の還暦を迎えるわけで、そう考えると歳月の流れの早さに、今さらながら驚かされます。
盂蘭盆の迎え火を焚いた夕方に、息子がやってきました。この日は都合がつくかぎり、食事を一緒にするこのとにしていますから。
息子がこんなことを聞いてきました。「おやじは終戦の日のことをどれくらい覚えている?」と。
そのとき、おもわず口にしたのが「あの日の空は青かった!」なのです。
あの日の空の青さは、いったい何だったのか。
        


*       *       *
昭和二十年八月十五日、私は小学六年生、学童疎開で富山県と石川県との県境に近い山奥にいました。新聞もない、ラジオも滅多に聞けないのです。
その日、小学校の教員室へ集められて、オンボロのラジオのまわりに直立不動の姿勢で立ち、天皇陛下の玉音放送を聞いたのでした。
放送は雑音が多いうえに、陛下の言葉がむつかしいものですから、ハッキリと聞き取ることはできなかったけれど、異様な雰囲気を感じました。
代用教員のK先生の話で、日本が戦争に負けたことを知ったのです。負けたと言われても、悔しいという思いは湧いて来ませんでした。
でも、K先生の説明をしながら涙を流した顔と、私たちを見ながら「これで、おまえらも大阪へかえれるな」といった言葉は忘れられません。
校庭にひとり出て見上げた夏の空は、異常なほど青かったのです。どこまでも澄んでいたように思います。なぜ、あんなに青かったのだろうか。
これで、大阪へ帰れるのか。ということは、親父やおふくろ兄弟といっしょにまた暮らせる、という安堵のよろこびのセイだったのかもしれません。
後年、友達やいろんな人に聞いて見ました。私がいた、富山の山奥の空だけが青かったとおもっていましたから。
ところが、みんなが言うのです。「確かに、あの日の空は青かった」と言います。
その当時の少年たちだけが、やたらその青空のことを語り合うというのは、どういうことなのか、不思議なこととしか思えません。
何時だったか、作家の久世光彦さんの文章との出会いうれしくなりました。少し違うかもしれませんが、こんな記述だったと思います。
「昭和二十年、あの年の夏の空は異常に青かった。どこまでも澄んで広かったあの空の色は、まるで奇跡の色のようだった。その空の下で私の中では昨日までのことが、きれいになくなっていた。明日のことも想わなかった。何もなかった」
「あのとき、私には神が私たちに示した色のように思えてならないのだ。あの青を見て、何かを感じ、何かを考えるように天上の神が示した色なのだ」。
久世さんと私はたしか一つか二つ違いですから、終戦を迎えた日の受け止め方に共感をおぼえたのかもしれません。そうなんだ、神が示した青なのだ、と。
「何かがはじまるような気もした。しかし、おなじくらい、何かが終わってしまったような気もした。大人たちがどう感じていたかは知らないが、私たちはそんな曖昧な気持だった」。ここにも、おもわず共鳴してしまうのです。
そういえば、亡くなった半村良さんが、戦後の少年たちを描いた「晴れた空」を思い出します。半村さんも私と同じ年で、青い空に惹かれた人でした。
ながい、ながい夏休みでした。十月に入って、おやじが迎えに来てくれました。
大阪まで国鉄の貨車に載せられて帰ったのです。
扉を閉めると中は真っ暗です。ぎっしりと人が詰まり、押し黙っていました。
それでも、大阪へ帰れるよろこびで何の苦しみも感じなかったのです。
焼け野原と化した街には、進駐軍のジープが走り、異国の兵士のカッコよさを見せ付けられたとき、私ははじめて惨めさを感じたように思います。
        *       *      *
あれから59年目の終戦記念日、大阪は午前中激しい雨になりました。
テレビでは、終戦日の記念式典の様子が放映されています。
どなたの挨拶を聞いていても、「なんだよう、言ってることと、日頃やってることが違うじゃないか」と目を背けてしまいます。
「昭和二十年八月十五日」から得た教訓は何だったのか。新しい良い時代になると期待に胸おどらせたのは、単なる無邪気な少年だったからか。
民主主義や自由という言葉に、何やら胡散臭いものを感じてしまうこともありました。それは案外、素直で単純な思考しか出来ない少年だったからかもしれません。
いまでは、悪い・暗いといわれた時代を脱け出したという、終戦直後のあの開放感は、青い空とともに消えてしまいました。
でも、いま世界を覆っているうす雲のうえには、青く澄んだ空がひろがっていることだけは、なにより間違いのないことです。
天上の神が創られた青空があると思えば、人は雄々しく生きていけます。
そのためにも、ときにはもっと空を見上げる生き方をしたいのです。
ありがとうございます。