中国上海での人生初の霊性の響きに共振した
体験がきっかけとなり、この国や世界での数々の
響きの体験は始まりました。
ですがこんなにも魂を揺るがす体験は始めてと
なりました。
その旅は「日月神示の源流を訪ねて」と題して始まります。
いつもに似ず参加者8名の少数の旅、しかも
現代の日月神示と呼ばれるNさまによる
御天画の学びを長く続けている方7名と
比較的経歴の浅い1名様の参加です。
令和5年9月23日~24日。
それは日本の国譲りの神話の息栖(いきす)神社
香取神宮が皮切りとなりました。
そして翌日の鹿島神宮。
ですが目的はそして響きは翌24日の麻賀多神社内の
天日津久神社にあることは最初からの確信でした。
できればそこでゆっくりと感じていたい希望が
魂の底から湧いていました。
旅立つ前からワクワクしていたのです。
建物の古さや壮大さなどにはまったく興味がなく、
さらに格式などもです。
ただ魂の奥というか、自身の霊性の存在が共振する
場所を求めて旅しました。
この国では剣山から始まり、鏑射寺、
そして能登の真脇遺跡そして思い出深い十和田神社などが
そのような場所です。
過去の響きのすべてを圧倒するかのような体験が
待っていようとは思いもよりませんでした。
この地は高名な岡本天明さんが境内に入った時
手に鋭い痛みが走り、筆をもったとたん
すらすらと意味不明な数字や丸や絵文字などが
自動書記され、そのことが何年も続いた場所
なのです。
いまはかなりその「日月神事」と言われる書も
解明されご興味のある方は研究もされています。
麻賀多神社
境内にある天日津久神社
岡本天明さんが神社のすぐそばで住んでいた
土地が残っていました。
麻賀多神社本殿での参拝を済ませ、脇道を
天日津久神社へと向かいます。
小さな拝所。。
皆さんが一通り参拝を済まされてから
最後のほうに鳥居の中に入り、小さな社に
手を合わせて感謝のお詣りを始めました。
もうだめでした。
慟哭とともに霊性の響きがなんども
押し寄せて祈ることも叶わず、石で出来
ている鳥居に手をもたせ掛けて体を支えていました。
幾度も幾度も波のように押し寄せる感涙慟哭。
ただただ空に身を任せるしかありません。
恥ずかしいようなこと。
やっとそれも収まり、ご神木へ。
そして休憩のお店へむかい、とてもおいしい
お茶とケーキ、パスタなどをいただき辞去することに。
すると奥宮への道を案内しに店主の方が
お店の外に出てみえました。
歩いて4キロあるその奥宮への車での道を
教えていただき奥宮参拝が叶うことに。
またそこで大変な発見をすることになります。
麻賀多神社の奥宮です。
ご神木に龍霊が
さらに境内にはある方の古墳がありそのお墓
には古代スラエルのお墓のような趣が。。
これは淡路「夢泉景」にある古代イスラエル民族の
拝所に酷似しています。(魚谷佳代さんによります)
この遠大な物語はイスラエルでモーゼが40年間に渡って同胞を導き、
約束の地を指さしたネボ山に通じることでしょう。
この物語は人生の一側面として自身が歩んだ霊性の
旅の集大成としてまた書かせていただければ
ありがたいことと感じさせます。
日本と古代イスラエルとの関係のお話です。
こうして数々の感動を胸に帰途に就きました。
御世話いただいた方への感謝と共に、参加者の
皆さまとのご縁の深さに深い感謝を捧げます。
30年間にも渡る現代の「日月神事」とのかかわりが
決して無駄ではなく、これからのこの国や人の在り方を
示すものとなるとの確信です。
すべてのご縁に感謝を申し上げます。
ありがとうございます。