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どんな中でも、気楽に生きて見せましょう
釈尊の言葉 ダンマパダ編
釈尊の言葉に、
・ どんな悪意と敵意が有る中でも、気楽に生きましょう。
・ 敵意に満ちた中でも、自分は敵意を持たずに居ることが修行です。
・ 悪意の有る人々の中で暮らすことも、自分は悪意を抱(いだ)かずに暮らすことが修行となります。
以上のようなものが有ります。
{この発言に関係する原典:(原始仏典 ダンマパダ15章-197番)}
職場でも、買い物中でも、他人の悪意を感じて気にする人が増えています。
他人の視線を気にする人も、増えています。
これは、末法(まっぽう:釈尊の死後、2000年以降に始まると予言された混乱の世紀。今のことです)
の時代には、悪意と敵意が満ちると予言されていますので、そうなる人が今後も増えます。
生活の中で疑心暗鬼(ぎしんあんき:疑う気持ちが強くなること)になる人が、増えて行きます。
そういう中で暮らして行くには、どうすれば良いのか?
釈尊は明快に仰っています。
・ 悪意の中でも、気楽に生きることを、自分への修行とせよ。
・ 敵意と悪意に満ちた中で暮らしても、それでも自分は善意で生きることを大いなる修行とせよ。
他人からの悪意を気にする人は、
「そういう他人に、どう対応するか?」
つまり、そういう他人へ自分が干渉する方法を悩みます。
でも、釈尊はそうでは無いのです。
そういう他人には、まったく不干渉で良いのです。
他人では無くて、
・ 自分自身への、気にしない修行とするのです。
・ 他人の悪意を受けても、その中でも気楽に生きて見せることを、自身への修行とします。
これからの時代は、
・ 他人をどうするか? では無くて、
・ 自分がどう生きるか。
これが大切です。
他人を変えようとして悩まずに、不干渉で良いです。
自分が、どう変わるか?
これが大切です。
死んで行く時は、自分1人です。
生きる間のすべては、自分自身への修行なのでした。