自分はみえない 031125

鏡に映る自分は毎日見るけれど、
実物の自分は一生 見ることができないように、
自分のことは みえない。
他人の反応を通してのみ 自分を知ることができるもの。
みえない自分を すべてわかっているかのように
したり顔にすることほど 愚かなことはないのだろうか。
出会うすべての人々は 
自分という存在を 語ってくれている。


人々が耀きますように、
祈りを込めて接すれば、
人々は耀きを失うかのよう。
私はわたしでいようよ。
感覚や感情のボタンを 押された時の反応は
ヒトからまだまだ離れていることを 教えてくれる。
無感情 無感覚のいのちのふるえは、
「ここまで きたね 」という天のごほうびだろうか。
毎日が そうでありますように、
つきない言葉が あふれ 光となって
人々の 耀きに 役立ちますように。
祈りにもにた ふるえは 他からこそ いただけるのだから。
自分にはみえない光だから。
  ありがとうございます
このつぶやきへの「返信 投稿」
私の周りに居る、最近出会えた人々のおかげで(いいえ、ホントはずーっと前からの、全部の人なんだけど)少し前までは実感できなかった感覚が、この頃は沢山実感できます。
かつては「キレイ事」ジャンルに収めてきた沢山の語録が、フツウに「そうだよな・・。」と感じれることが、不思議で当たり前のようで思い出したような気もして、、、全部丸めて有難いです。
『他人の反応を通してのみ 自分を知ることができるもの。出会うすべての人々は自分という存在を 語ってくれている。』
接客のアルバイトをしていて、ここのところ本当にそう思えて、一人一人のお客さんに、感謝の気持ちが沸きます。(まだ、ひょろひょろの芽ですが・・)
今までは、「どこだろう?どこだろう?」と探していたのに、全部がそうだったんだ・・・とやっと気づいて、”カミサマ”なのか”ウチュウ”なのかわからないけれど、そういうおおーきな、スタートのところに対して「へへ、、今更で遅くてスイマセン・・・。」という気持ちと「今まで、ずっといつも、アリガトウゴザイマス」という気持ちとで、涙目の顔が小さく笑います。
あたしも、非力ですが、感謝で恩返しができたらなと思います。
お邪魔しました。            S・L